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2018/01123456789101112131415161718192021222324252627282018/03

平原遺跡。[福岡県糸島市]

平原遺跡」です、in 糸島市。
平原と書いて〝hirabaru〟と読みます。

来てみて、案内板を拝見して驚愕の文字がっ(汗、、、
八咫鏡、天照大神。。。!
帰ってきてから、も1度調べてみてさらに驚く(汗、、、
卑弥呼の墓。。。!

そんな素敵な遺跡でありました (=゚ω゚)ノ


=== 案内板より ===
国指定史跡 曽根遺跡群 平原遺跡
1965(昭和40)年と1988(昭和63)~1999(平成11)年に発掘調査され、
弥生時代中期初頭の竪穴住居跡7棟、壺棺墓1基・木棺墓4基、
弥生時代後期の墳丘墓3基・大柱遺構3基・特殊建物跡1棟・
古墳時代前期の円墳2基・土壙墓12基・時期不詳の掘立柱建物3棟
などが発見された。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

このうち、弥生時代終末期の1号墳は14m×10.5mの長方形状の平面形で、
幅1.5m~3.0mの周溝で区画し、排水溝を持った墓である。
主体部である広さ4.5m×3.5mの墓壙中央には、長さ3.0m、幅0.7m~0.9mの
割竹形の木棺が納められていた。
棺の内外から銅鏡40面、ガラス勾玉3点・管玉30点以上・連玉886点・
丸玉約500点・小玉482点、メノウ管玉12点、ガラス耳璫2点、水銀朱、
鉄製素環頭大刀1本などが出土した。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

特に直径46.5cmの古代で世界最大の超大型内行花文鏡5面を含む
銅鏡などの豊富な副葬品から、1号墳は巫女的な性格をもった
伊都国の女王墓と推定される。
なお、超大型内行花文鏡を八咫鏡として、「日本書紀」などにみられる
大日孁貴(おおひるめのむち)の墓と考える原田大六先生の説がある。
云々。。。


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鷲宮神社。[埼玉県羽生市]

埼玉県羽生市です。
鷲宮神社」にやって参りました。
in 下君村。

こちらは東側にあった朱色をした「鳥居」。


鷲宮神社。[埼玉県羽生市]

南側に回ると白い「鳥居」があり、
参道、社殿と、真っすぐの配置になります。


鷲宮神社。[埼玉県羽生市]

参道、すぐ右手に「弁財天」。
側に藤棚があり、案内板がありました★


=== 案内板より ===
鷲宮神社と古藤の由来
鷲宮神社の御手洗の池に、市杵島姫命を祭る弁天社があります。
このお宮は、七福神の一人弁才天と付会され、人々から厚く崇拝されてきました。
池のほとりにある古藤は、弁天社の創建のころ植えたと伝えられ、
明治17年(1884)の記録に、数千年を経たもので風景すこぶる美観とあります。

鷲宮神社(横沼神社を合社)は、祭神を天穂日命といい、古墳の上に建てられました。
2142坪の境内地には、4個(他に1個出土している)の礎石があり、
社殿がたてられていたことを物語っています。
また、付近から鎌倉時代の屋根瓦の破片が出土しており、
社殿の修理か造営が行われたものと思われます。


鷲宮神社。[埼玉県羽生市]

横沼神社は、彦狭島王の子御室別王の姫を祭ったもので、
樋遺川村の御室神社へ「お帰り」という里帰りの神事が、
明治の末期まで行われてきました。由緒の深い神社です。
ちなみに、村君の地名が文献に現れるのは、応永年間(1394~1427)で、
文明18年(1486)京都聖護院二十九代の住持を務めた道興准向が村君の里を訪れ、
たか世にか 浮れそめけん 朽はてぬ 其名もつらき むら君の里
とよんでおります。

荘厳な鷲宮神社や永明寺を拝し、古墳を訪ね、栄えていた村君の里をしのんで
歌われたものです。現在、藤は羽生市の花として市民に親しまれています。
云々。。。


鷲宮神社。[埼玉県羽生市]

藤棚を過ぎ、左に境内社の「浅間神社」。


鷲宮神社。[埼玉県羽生市]

そして正面に「鳥居」です。


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石ヶ崎支石墓。[福岡県糸島市]

田んぼの中に突如現れる雑木林。
古墳か何かかなぁ~と、怪しい雰囲気に誘われて。。。

近寄れば案内板が。
石ヶ崎支石墓」でありますっ。
やっぱり。。。


石ヶ崎支石墓。[福岡県糸島市]

=== 案内板より ===
石ヶ崎支石墓
この丘には、1949年(昭和24年)に原田大六氏らが発見、
発掘調査を行なった弥生時代の墳墓遺跡(石ヶ崎支石墓)がある。
遺跡の中で最も注目されたのは、墓群の最高所で発見された弥生時代前期
(2300年ほど前)の支石墓である。
支石墓とは、墓壙の上に数個の支石を配し、
その上に自然石をのせて標石とした墓であるが、石ヶ崎支石墓の上石は
差し渡し3mほどの花崗岩の板石を置いた大型支石墓であった。
地下の埋葬施設は組合せ式木棺と考えられる。


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三雲・井原遺跡と築山古墳。[福岡県糸島市]

=== 案内板より ===
三雲・井原遺跡 - 伊都国の王都 -
三雲・井原遺跡は、中国の歴史書「魏志」倭人伝に記された
弥生時代の国のひとつである「伊都国」の王都とされる遺跡です。
遺跡の面積は、瑞梅寺川と川原川に挟まれた約60㏊の三角地で、
その規模は弥生時代において国内最大級を誇ります。

遺跡の発見は、江戸時代の三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡の
両王墓の発見にさかのぼります。
本格的な発掘調査は1974年に開始され、
今日までに100か所を超えるトレンチ調査が行われました。
調査の結果、遺跡中央部に広がる大集落と、その南~北部には
集落を囲むような形で、甕棺墓や石棺墓などの墓域が展開し、
集落と墓域の間は数条の大溝によって区分されるなど、
しだいに王都の姿が浮かび上がってきました。

王都としての特徴は、広大な面積のほかに集落域から豊富に出土した
外来系遺物にみられます。
仲田地区や番上地区から出土した中国産の辰砂(しんしゃ)や中近東原産の
ファイアンス玉、朝鮮半島系の楽浪土器は中国、朝鮮半島との交流で繁栄した
「伊都国」の証といえます。
また、ヤリミゾ地区からは大量のガラス製装身具や銅鏡などが出土しており、
王に次ぐ有力者の墓と考えられています。
糸島地方を代表する貴重な文化遺産です。みんなで大切に保存しましょう。
云々。。。


三雲・井原遺跡」。福岡県糸島市です。
畑の中を走る1本道の脇に建つ案内板。
1枚の案内といえども、ヒジョーに濃い内容が記されていますっ。
魅力的だっ。。。


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福岡城跡。[福岡県福岡市]

前回に続いての「福岡城跡」です。


福岡城跡。[福岡県福岡市]

早起きは三文の徳♪
福岡の朝を独り占めっ!みたいな、
こんな綺麗な風景に出会えました (=゚ω゚)ノ

では、さっそく★


福岡城跡。[福岡県福岡市]

=== 案内板より ===
本丸(表御門跡・祈念櫓)
二の丸から表御門跡を抜けると、いよいよ福岡城の中枢である本丸となります。
表御門は大正7年(1918年)に、黒田家の菩提寺である崇福寺(博多区千代)
に移築され、現在まで同寺の山門として使用されています。
また、本丸の東北方向(鬼門)の角には、祈念櫓があります。
これは鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、
棟札によると万延元年(1860年)3月に起工、同年10月に竣工したものです。

この櫓は、大正7年(1918年)に、陸軍省から払下げられ、
北九州市八幡東区の大正寺境内に移築、観音堂として使用されました。
そして昭和58年(1983年)、同寺より福岡城の旧位置に戻された経緯があります。
大正初期の撮影と推定される写真の祈念櫓をみると、下見板張り、白漆喰の壁、
軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓となっており、復元された現在の祈念櫓とは
著しく外観が異なっており、別の櫓かと思われるほどですが、
福岡城から大正寺に移築された際に大幅な改変を受けたと考えられています。
1、2階の窓格子は白漆喰塗り仕上げで当時の様子をとどめています。

福岡城の特徴として、47ともいわれる多数の櫓があったことが挙げられますが、
現存しているのは本櫓のほか、国指定史跡の多聞櫓や解体保存中の潮見櫓など
数えるほどとなっています。
云々。。。


福岡城跡。[福岡県福岡市]

「御祈念櫓跡」。


福岡城跡。[福岡県福岡市]

「二の丸跡」。


福岡城跡。[福岡県福岡市]

「井戸跡」。


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