ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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椿田城跡。[佐野市]

着いてみると完全に何方かのお宅じゃないですか(汗、、、
庭先で畑仕事をしているおばあちゃんに、
良いですかぁ~?とお声掛けしてから参りましょう。

佐野市にある「椿田城跡」です!


=== 案内板より ===
椿田城跡
永禄3年(1560)唐沢山城の出城として構築され、
川越・忍・館林方面に対する抑えとして、代々福地氏が城主となっていた。
慶長19年(1614)佐野氏改易とともに廃城となり、
以後福地氏が名主・郷士として住んできた。
やや方形の宅地の外側に幅2.6~2.8メートル、深さ約1メートルの
水堀が残っている。
云々。。。


椿田城跡。[佐野市]

胴造鰐口
椿田の福地家屋敷内の観音堂にあり、天明6年(1787)天明の鋳工
丸山善太郎の作である。
この鰐口は一旗の守護のために各地の代表者が寄進したもので、
特に撞座の部分がすばらしい。
云々。。。


下野絵図
天正18年(1590)秀吉の臣加藤清正からの要請を受けて、
天徳寺了伯が佐野家の重臣山下道牛、福地出羽、高山外記、田口豊後、
浅野弥十郎の5名に命じて提出させた下野国絵図の手控である。
筆跡や用紙から安土桃山期のものと推定される貴重な資料である。
云々。。。


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特別史跡 大宰府跡。[福岡県太宰府市]

高良大社に続いてやって参りました!
特別史跡 大宰府跡」。

2011年4月以来、2回目の訪問です。


=== 案内板より ===
特別史跡 大宰府跡
古代、西海道と呼ばれた九州一円を統轄していた大宰府は
外交・貿易などの対外交渉の窓口として重要な任務を課せられていた。
その機構は中央政府に準じ、
地方機関としては最大規模の行政組織を有していた。


特別史跡 大宰府跡。[福岡県太宰府市]

発掘調査によると、7世紀後半に掘立柱建物が建てられ、
8世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備される。
この建物は藤原純友の乱によって焼き打ちされたが、
10世紀後半には立派に再建された。


特別史跡 大宰府跡。[福岡県太宰府市]

現在見ることのできる礎石は、この再建期のもので、
左上図は発掘調査の成果をもとにして復元したものである。
これらの建物は藤原道真が「都府の楼はわずかに瓦の色を看る」と
うたっているように壮大なもので、
当時としては中央の都の建物にも劣らぬものであった。


特別史跡 大宰府跡。[福岡県太宰府市]

正殿は重層風につくられ、
屋根は入母屋ないしは寄棟造りであったと思われる。
このような政庁を中心にして周囲は、数多くの役所が配置され、
その規模は平城・平安の都に次ぐ「天下の一都会」であった。
云々。。。


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高良大社。[福岡県久留米市]

社号が記された大きな灯篭。
いよいよやって参りました、筑後国一の宮。
高良大社」でありますっ!


福岡県久留米市御井町1

信号右折するとここからが参道でしょうか。
「一の鳥居」である石造の大鳥居が出迎えてくれます。


=== 案内板より ===
大鳥居
鳥居の語源には諸説があり、はっきりしませんが、
一般には神社の門であると言われています。
この大鳥居は、高良大社の一の鳥居で、高さ6.81m、柱間4.5mで、
花崗岩製の典型的な大型の明神鳥居です。

現在の鳥居は、承応4年(1655)に久留米藩二代藩主有馬忠頼の寄進によって、
建立されたものです。
石材は竹野郡石垣村(現浮羽郡田主丸町)の花崗岩を切りだし、
藩内の15才から60才までの男子延べ10万人によって、耳納山地の山裾を
運ばれました。
額字は、徳川将軍家の菩提所である東京上野寛永寺の
門主の筆によるもので、安永2年(1773)七代藩主有馬頼徸の
寄進によるものです。
云々。。。


福岡県久留米市御井町1

少し進んで「二の鳥居」。
ここからの石段を進めば、徒歩で境内まで行くことが出来ます。
じっくりと攻めたい方はぜひ。
案内板もありました。


===
高良大社
筑後一の宮。延喜式内名神大社。旧国幣大社。
社地は高良山の西の山腹にあたり、「神籠石」の列石が周囲を囲んでいる。
祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神。履中天皇元年(400)の創建と伝わる。
延歴14年(795)に従五位下に叙されてから、事あるごとに神階を進め、
弘仁9年(818)名神に列し、寛平9年(897)には正一位を授けられた。

山下の石造り大鳥居は、承応4年(1655)二代藩主有馬忠頼公の寄進。
本殿・幣殿・拝殿は万治3年(1660)三代藩主有馬頼利公の寄進で、
社殿の絵本墨書平家物語(覚一本)と共に国の重要文化財。
高良大社文書十巻一冊、絹本著色高良大社縁起(画縁起)二幅は県指定文化財。
社有地のほとんどは「史跡高良山神籠石」として国の史跡指定を受けている。
云々。。。


おおーっ。〝神籠石〟ですかっ (=゚ω゚)ノ

以前の神籠石はこちらから↓
帯隈山神籠石。[佐賀県佐賀市]


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北野天満宮。[福岡県久留米市]

福岡県久留米市です。
大きな「一ノ鳥居」が建ちます。
菅原道真公をお祀りした「北野天満宮」の参道であります。


北野天満宮。[福岡県久留米市]

北野天満宮。[福岡県久留米市] 北野天満宮。[福岡県久留米市]
(写真はクリックで大きくなります。)

境内の入り口の「二ノ鳥居」と、「道標」。
古そうな道標ですが、江戸時代のものでしょうか?


北野天満宮。[福岡県久留米市] 北野天満宮。[福岡県久留米市]

池にかかる朱色の「神橋」。


北野天満宮。[福岡県久留米市]

「三ノ鳥居」です。

=== 案内板より ===
石造鳥居
この鳥居は、「肥前鳥居」と呼ばれ、慶長年間(1596~1614年)
につくられたものが多いため、「慶長鳥居」とも呼ばれます。
笠木の長さは5.35m、高さは4.01m、地面での両柱の間隔は2.5mを測り、
凝灰岩を削ってつくられています。
銘文から慶長12(1607)年の年号を読み取ることができたので、
江戸時代のはじめにつくられたことがわかります。
最初は下宮へ下る参道の途中に建っていましたが、
昭和のはじめ頃に現在の場所へ移されました。
云々。。。


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正縁塚と愛馬別れの松。[沼田市]

群馬県沼田市です。
ベイシアの先を左折するとすぐです。
塩原太助 愛馬別れの松」。

標柱には〝正縁塚・一本松〟と記されています。


正縁塚と愛馬別れの松。[沼田市]

もう一つ「塩原太助愛馬別れの松」の石碑が建ちます。


=== 案内板より ===
塩原太助 愛馬別れの松
昔を偲ぶ利根の花千代も散らまし経済の鏡と謳はれ香りつゝ
今に残りし名の誉れ塩原太助深愛の馬を繋ぎし一つ松
哀れを茲に残しけるせつなに絡む松の情附したる涙打佛ひ
老松高く仰ぎつゝ男児の固きこころざし初めて樹ちし
霊松の風清らかになびくなり老松より人傑出し事ぞある畏れ多くも
道眞は梅花と別れ惜み楠公も近江の藤樹其の他にも秀才出し例しなど
算ふるいとまなしかゝる霊松も齢ぞ来る過る慶応年間に風雨の為に倒れ
枯れ然れどもその後数十本小松生じしが何時となく只一本残りしは
一本松の名稱の盡せぬことこそ芽出度ける嗚呼尊しの山川老樹
嗚呼貴人のこころ
云々。。。


正縁塚と愛馬別れの松。[沼田市]

文章が難しくて良く分かりませんっ(汗、、、

簡単な屋根がついて保護されいましたが、
実際の松は枯れていて、根っこだけになっていました。


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