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中之条ビエンナーレ 2017。[甌穴]

中之条ビエンナーレ2017」。

〝沢渡暮坂エリア〟を後に、四万温泉へ向かいます。
前回に続いて、途中の寄り道は「甌穴 OUKETSU」です。


中之条ビエンナーレ 2017。[甌穴]

この、玉子のような形をした窪みが「甌穴」。


中之条ビエンナーレ 2017。[甌穴]

=== 案内板より ===
甌穴
県の天然記念物に指定されている景勝地。
数万年もの歳月を経て、川底に沈む石が
水流によって定位置で回転することにより、
摩擦の力で開けられた穴。
大小8つの穴が点在しており、大きいもので
直径3m、深さ4mにもなる。
云々。。。


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澤渡神社。[中之条町*沢渡温泉]

中之条ビエンナーレ2017」、
の途中ではありますが、
温泉街の高台に鎮座します「澤渡神社」です。

建久2年に創建、
大巳貴神(大国主神)をはじめ22柱の神様がお祀りされているのだとか。
建久2年(1191)といえば源頼朝さんが鎌倉幕府を開く前の年ですね。


澤渡神社。[中之条町*沢渡温泉]

石段を上り鳥居をくぐると、
すぐ右手に「道祖神」様がいらっしゃいます。


=== 案内板より ===
沢渡の道祖神
道祖神は、道陸神(どうろくじん)・塞神(さいのかみ)とも呼ばれ、
村境や道路の辻などに建てられ、
外からの悪霊や疫病など邪悪なものを遮る神として信仰されました。
沢渡では、正月14日の道祖神祭に、村中の人たちが集まり
どんどん焼きや鳥追いをして、その年の幸福を祈る行事が行われてきました。

この道祖神は、昭和20年ごろまで
どんどん焼きをしていた二十三夜塔の近くに祀られていました。
ここは村境で、沢渡から久森方面への分岐点になっています。
なお、湯原道祖神(反下と沢渡の分かれ道)と
前尻道祖神(大岩と沢渡の分かれ道)は、彫りの深い男女二神の和合像で
「寛保3年(1743)6月吉日」の年号があり
それぞれ沢渡への道の入口に建てられています。
多くの浴客を集めた沢渡への道には、
現在ではこの3つの道祖神が残されております。
云々。。。


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上野国新田郡庁跡。[太田市]

国内で一番大きい郡衙遺跡、
上野国新田郡庁跡」にやって参りました。
in 太田市。

といっても復元された施設など建っているのではなく、
建物の礎石跡に赤い目印が置かれているだけのものです。

それでも来て見れてウレシイ★


上野国新田郡庁跡。[太田市]

=== 案内板より ===
国指定史跡 上野国新田郡庁跡
上野国新田郡庁跡は、古代新田郡におけるの郡衙(郡家)の中枢施設です。
この施設は、以前から礎石建物跡や炭化米の出土が知られていた
天良七堂遺跡(てんらしちどういせき)内に存在します。


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小布施陣屋跡。[長野県小布施町]

町中に、ひとつ史跡がありました。
小布施陣屋跡」です。

ここは外せませんっ(笑


小布施陣屋跡。[長野県小布施町]

=== 案内板より ===
小布施陣屋跡
江戸時代中期の元禄14年(1701)から正徳5年(1715)までの15年間、
徳川幕府の天領として陣屋(代官所)がこの地に置かれ
代官の市川孫右衛門が年貢の徴収や民事、刑事の裁判などの
司法行政に当たった。

陣屋本屋は46坪からなり、役人武士や足軽数人ずつのほか、
下働きのもの若干名がいた。
旧谷街道(現国道403号)から入るこの小路を陣屋小路と呼び、
約100メートル西方に陣屋が位置していた。陣屋の右手には
稲荷社が祀られていた。石祠が現存している。

支配の領地は、現在の小布施町の8ヵ村、中野市の1ヵ村、
高山村の5ヵ村、須坂市の8ヵ村、長野市の16ヵ村
合計38ヵ村に及び、石高は1万9千121石であった。
云々。。。


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八坂神社。[太田市世良田町]

先月、
7月22日、23日に開催された〝世良田祇園まつり〟。
今年も予定が合わず断念で残念(涙、、、

というわけでやって参りました「八坂神社」。
太田市世良田町です。


八坂神社。[太田市世良田町]

参道の左手にある「屋台庫」。
左から下町、大門、新町と並んでいます。
祭り屋台は普段ここに格納されているのかな。

手前が参拝者駐車場に車を停めて、
ささ、参りましょう。


八坂神社。[太田市世良田町]

八坂神社。[太田市世良田町] 八坂神社。[太田市世良田町]

「鳥居」と「手水舎」。


八坂神社。[太田市世良田町]

「拝殿」。


八坂神社。[太田市世良田町]

「本殿」。


八坂神社。[太田市世良田町]

=== 案内板より ===
八坂神社
八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、
織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。
また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。
これは、世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、
津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。

「永禄日記」(長楽寺蔵)の永禄8年(1565)6月7日の条に、
「天王祭ヲイタス」とあり、古くは「牛頭天王」を祀る天王社であった。


八坂神社。[太田市世良田町]

江戸時代は神宮寺(大正2年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・
三ツ木・粕川村など5ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・
木崎宿などが加わり、24ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。

当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。
特に夏祭は「世良田祇園」として知られ、
かって11台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして
絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の1つに数えられた。
近年は交通事情等により祭りの規模は縮小されているものの、
村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、
御輿の渡御などに「世良田祇園」の伝統が受け継がれている。
云々。。。


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