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ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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国府野遺跡 足利市

=== 案内板より ===
国府野遺跡(こうのいせき)
このあたりは、
古くから高野(こうの)や十念寺(じゅうねんじ)という地名で呼ばれ、
昔の瓦をひろうことができました。また、足利学校が現在の場所に移る
以前の場所であるといわれていました。それらを解明するために
25年前(昭和46年)より発掘調査が行われ、平成9年度までで
20ヶ所以上に及んでいます。

調査の結果、大きな溝に囲まれた敷地内に9棟以上の礎石建物跡や
10棟以上の堀立柱建物跡が確認されました。
年代は今から約1300年前から900年前までで
3回以上の建てかえが行われています。
これらの建物跡は米等の重い物を入れた倉庫の跡と考えられ、
足利郡の役所の跡で、しかも倉庫がたちならぶ地域であったものと思われます。
また、大溝や建物の方向は現在の足利市の町の基礎となっています。
周囲からは建物に葺かれていた瓦や
食器等として使った須恵器(すえき)等も数多く出土しています。
国府野遺跡は、奈良、平安時代の足利郡の中心地として
重要な遺跡です。


う~ん。。。
足利学校が、JR足利駅より南側にあったとは
知らなんだ~。。。
いつ頃今の場所に移転したのかな?
案内板が立っていただけの遺跡ですが、
なかなか興味深いデス。うむ。


国府野遺跡
@栃木県足利市伊勢町


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コメント
この記事へのコメント
足利生まれの植竹功です。市商業観光課や商工会の人達以上に熱烈に足利好きです。
足利には下野(栃木)・上野(群馬)を総べる毛野国の「毛野」という地名が残るし、「両毛」といえば習俗的・商業的(大企業の両毛支社とかは、9割がた足利にある)にもその代表が足利とみなされているし、当遺跡は元をたどれば毛野国の国衙(政庁舎)跡だったのではないのでしょうか?「国府野台」という名もその遠い記憶が継承されているからでしょう。
そもそもアシカガという地名が大和時代の英雄ヤマトタケルの子であるアシカガミワケノミコトに由来するわけだし、両崖山という小高い山の上に鉄剣で有名な埼玉稲荷山古墳を凌駕する巨大な、しかも前方後円墳があるし、中央貴族の小野タカムラ(当方辞書で漢字でない)がわざわざ日本国最初の学校を創設するし、足利が毛野国全体の中心であったことはまちがいないです。
2008/10/30(木) 12:43 | URL | ウエタケ イサオ #-[ 編集]
ウエタケ イサオさま☆
貴重なコメントどうもありがとうございます。
スゴイですね!!

神話の時代にもさかのぼるネーミングだったとは。

中心だったのかぁ…足利…。

「現在の足利」ガンバレ!!
って感じですねぇ~。

また、遊びに来て下さいネ。
2008/10/31(金) 09:03 | URL | BECCAN #-[ 編集]
こんにちは
国府野遺跡 がどんなものかインターネットで検索しましたがなかなか
みつからずこちらにおじゃましました。今日やっと案内板をみつけて
みてきました。車で通る道ですが、1300年前の遺跡が眠っているなんて知りませんでした。
2009/10/18(日) 20:08 | URL | Hiro #-[ 編集]
Hiro さま★
近くを東山道が通っていたのでしょうか?
とても貴重な遺跡なのに
案内板だけじゃちょっとサミシイ気がしますね。
足利に遺跡があるのは、栃木市にある
下野国庁跡の資料館を訪ねた時に知りました♪

コメントありがとうございます!
また遊びに来てください~。
2009/10/20(火) 06:54 | URL | BECCAN #-[ 編集]
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