
おおーっ★いよいよ、
榛名神社「拝殿」です。随身門から
ゆっくり20分くらいあるったでしょうか?!
黒の漆がカッコいいネ。

「鎮護国家・ちんごこっか」と書かれた扁額と多様な彫刻。
神仏習合の名残が強く残った神社だね。

拝殿の後ろには、ご神体をお守りするように
ドーンと、御容岩(みすがたいわ)がそびえ立っています。
高さはどのくらいなんでしょう?こちらに
倒れてくるような目の錯覚を覚えます。
まさに奇石ぃー。

「本殿に続く幣殿」。
面白いですね〜、これは★
拝殿の右手にまわると、御容岩に直結されている
「間殿」、「幣殿」、があります。
「本殿」は、御容岩(みすがたいわ)の下部にある洞窟だそうです。
その中にご神体が祀られているのですね♪
おぉ〜っ!


左、奥に「神楽殿」。

一つの建物のようにみえますが、
それぞれが「国祖社・右」と「額殿・左」となっています。
国祖社に増築する形で額殿が建てられました。
国祖社は神仏分離以前には本地堂。
額殿はもともと神楽を拝見する場所だったようです。

「杵築社」。
ぎづきのやしろ?きづきしゃ?なんて云うんでしょう?
榛名歴史民俗資料館でいただいた「榛名神社略記」によると。。。
由緒
社殿によれば、綏靖天皇の御字饒速日命の子
可美真手命父子が榛名山中に神籬を立て、天神地祇を祭ったのを始めとし、
用明天皇元年(585)丙午の年に祭祀の場が創建されたといわれています。
延長5年(927)完成の延喜式神名帳に上野国十二社のひとつとして
位置づけられていた由緒ある神社で、古くから神仏習合が定着し、
境内地の山中には9世紀頃の僧坊と思われる厳山遺跡があります。
建久元年(1190)上野国司留守所にあてた下文によれば鎮護国家恒化修良の霊地として
榛名寺領内に健児・検非両使の立ち入りが停止されるなど
保護の手がさしのべられていました。
中世には上野国六の宮と位置づけられ、南北朝時代は山内でもそれぞれの勢力と結びついて
主導権争いが展開されました。結果として、北朝に組していた頼印は榛名山の支配者になり、
さらには鎌倉に移り主要な寺院の要職に任命され、頼印と室町幕府の関わりから
榛名山は室町幕府の手厚い庇護を受けることになります。
戦国時代には、この地方を支配した武将が俗別当として
配下の者を任命し、榛名山を尊崇しました。
云々。。。
まさに見どころテンコ盛りの榛名神社です。
すごくスガスガしいですしネ★
他にもたくさんありましたけど、また次の機会に
書きたいと思います。
また来よう、榛名神社。
以前の記事はこちらから。
○ 見どころ満載の榛名神社 その1 高崎市★榛名神社
榛名神社
@群馬県高崎市榛名山町

















