群馬の三山、「赤城」、「妙義」、と行きまして、
ついにやって参りました「榛名山」!
二ノ宮赤城神社はまだだけど。
妙義神社は通行止めで本殿観れなかったけど。。。
しかし、さぁさぁ、行ってみよー!

=== 案内板より ===
当社は第31代用命天皇丙午元年(1300年余年前)の創祀で
延喜式内社である。
徳川時代の末期に至る迄
神仏習合の時代が続き、満行宮榛名寺などと称えて
上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが
明治初年神仏分離の改革によって榛名神社として独立した。
御祭神
火山霊神・ほむすびのかみ(鎮火開運)
埴山毘売神・はにやまひめのかみ(五穀豊穣)
社殿は寛政4年の改築(170余年前)
御祭神は後に立っている御姿岩の洞窟中に祀られている。
神代舞(大々御神楽三十六座)は250年前から伝えられたもので
国の無形文化財に指定されている。

どがんっ、と現れるのは「随神門」。
「太〃御神楽」と書かれた大きな額が掲げられています。

すごく重厚感のある門です。
神仏習合の時代には、運慶作と云われる仁王像が置かれていたそうですが、
分離令により、その仁王像は焼かれてしまい、
(うむ〜、勿体無い〜。。。)
現在は随神像が祀られています。

「禊橋(みそぎばし)」。
しばらくこの参道を歩って行きましょー。

なんともスガスガシイ境内なのです。

「狛犬」君。
三重塔前にいらっしゃいます。
コアラのような鼻と
んぐぅ〜、とした口元だネ、君は。
ついにやって参りました「榛名山」!
二ノ宮赤城神社はまだだけど。
妙義神社は通行止めで本殿観れなかったけど。。。
しかし、さぁさぁ、行ってみよー!

=== 案内板より ===
当社は第31代用命天皇丙午元年(1300年余年前)の創祀で
延喜式内社である。
徳川時代の末期に至る迄
神仏習合の時代が続き、満行宮榛名寺などと称えて
上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが
明治初年神仏分離の改革によって榛名神社として独立した。
御祭神
火山霊神・ほむすびのかみ(鎮火開運)
埴山毘売神・はにやまひめのかみ(五穀豊穣)
社殿は寛政4年の改築(170余年前)
御祭神は後に立っている御姿岩の洞窟中に祀られている。
神代舞(大々御神楽三十六座)は250年前から伝えられたもので
国の無形文化財に指定されている。

どがんっ、と現れるのは「随神門」。
「太〃御神楽」と書かれた大きな額が掲げられています。

すごく重厚感のある門です。
神仏習合の時代には、運慶作と云われる仁王像が置かれていたそうですが、
分離令により、その仁王像は焼かれてしまい、
(うむ〜、勿体無い〜。。。)
現在は随神像が祀られています。

「禊橋(みそぎばし)」。
しばらくこの参道を歩って行きましょー。

なんともスガスガシイ境内なのです。

「狛犬」君。
三重塔前にいらっしゃいます。
コアラのような鼻と
んぐぅ〜、とした口元だネ、君は。

「三重塔」。
現在は「神宝殿」と呼ばれているらしいですが、
見たまんま、三重塔の方がわかりやすいですよね。
神社に残っている塔として群馬県内唯一のもの。
廃仏毀釈の時には、完工直後だったため、とか
五躯の神像が置かれていた、との理由で取り壊されなかった塔です。

「手水舎」。
参拝する前にこの場所でお清めをします。

「神幸殿・みゆきでん」。
手水舎から左に階段を上ってすぐにあります。
春の大祭のとき(5月8日〜15日)には、榛名神社のご神体が
本殿からこちらの神幸殿に移されるみたいです。
この間は参拝できるとか。すごいっ★

「矢立スギ」。
神幸殿の隣にあります、大きなスギ。
矢立というのは、かつての戦国武将たちが戦勝を祈願して
境内の木に矢を射立てる儀式のこと。
榛名神社の矢立スギは、あの武田信玄さんが矢を射立てた
と伝えられています。

もうひとつ門をくぐり、振り返るように見上げると
階段の上に現れるのが「双龍門」。

扉にいらっしゃったドラゴン君。
この双龍門にはいろいろな彫刻が施されています。
両サイドの壁面には「三国志」にちなんだ絵が彫られています。
総ケヤキ造りだそうですが、色合いのせいかな?
なんとなく金属的な印象を持ちますねー。
カッコいいな。
も一つ階段を上がり、いよいよ登場します!
見どころの多い榛名神社。
次回に続きますョ。。。
榛名神社
@群馬県高崎市榛名山町

















