
=== 案内より ===
柄杓山(ひしゃくやま)城は、観応元年(1350年)に
桐生国綱(後桐生氏初代)が築いたものとされている。
その規模は大きく、桐生川扇状地の両袖の高地である西方の丸山砦、
東方の浅間山砦を結ぶ下瀞堀を南端として、北端の物見山砦までの一帯を城郭としていた。
また、領主の居館は山麓に新たにつくり、梅原館は下屋敷とするとともに、
ここを基点とする町屋を復興させた。
城跡は、標高361メートルにある本丸を斗口とし、二の丸、三の丸を柄とする柄杓型の悌郭
構造で、堀切は深く、武者屯、郭馬出しなど城跡の全部が完全に残っている。
天正元年(1573年)金山城主由良成繁によって桧杓山城は攻略され、
桐生氏は10代桐生親綱を最後に滅亡し、由良成繁の居城となった。
成繁の死後、嫡子国繁が城主となったが、
天正18年(1590年)秀吉による小田原攻めでは北条氏政の軍に属したため、
小田原開城後、常陸国牛久へ転封となり、桧杓山城は廃城となった。
云々。。。
今はベンチが置かれた広場となっている
本丸跡です。
静かで暖かい日の散歩は
ホントに気持ちがいいネ。
また来よう、桐生柄杓山城址。。。
桐生柄杓山城址
@群馬県桐生市梅田町1丁目

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