FC2ブログ
ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2020/04123456789101112131415161718192021222324252627282930312020/06

春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
「上杉家廟所」に続いてやって参りました、
春日山 林泉寺」です。


=== 案内板より ===
春日山林泉寺
上杉謙信の祖父長尾能景が、父重景の菩提を弔うため、
明応5年(1496)に春日山城に(新潟県上越市)の麓に開基した曹洞宗寺院。
その後、上杉氏と共に会津、米沢に移る。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

上杉家の菩提寺であり、藩主奥方や子女、
上杉支侯家(米沢新田藩主)の廟所の外、直江山城守兼続夫妻の墓や
武田信玄の六男信清の墓(共に県指定の史跡)、長尾家・杉原家・吉江家・
甘粕家など上杉家重臣の墓が数多くある。
斜平山を借景とした庭園は、米沢三名園の1つに数えられている。
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

米沢、上杉氏ゆかりの方のお墓があるお寺さんですねー。
では、参りましょう。
こちらは「上杉家廟所」です。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

4代綱勝公室、老中保科正之の娘
「会津夫人媛姫」のお墓。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

鷹山公後室、米職の垂範元祖
「お豊の方」。


=== 案内板より ===
鷹山側室お豊の方の墓
お豊の方は、寛保元年(1741)1月17日、
4代藩主綱憲の六男勝延を父として米沢で生まれました。
明和7年(1770)6月14日、30歳で、10歳年若い鷹山の側室となり直丸(顕孝)・
寛之助の二子をもうけますが、いずれも19歳、2歳と早世しています。
鷹山には、江戸に正室(8代藩主重定の子幸姫)がいましたが、
お豊の方は鷹山のこよなき理解者であり、
その改革を支える内助の功(養蚕の奨励など)が今日なお語り継がれています。
また、お豊の方は詩歌に通じ、麗之の名で歌を残しています。
年ごとに 栄えますらん 国民も 
にぎはふ今日の 君のめぐみに
鷹山とともに領民に敬愛されたお豊の方は、文政4年(1821)12月17日、
81歳で逝去しました。法名、浄鏡院殿真影不空大姉。
鷹山は次のような悼歌を手向けています。
老いぬれば おくれ先だつ 世の中に
心なおきそ 死出の山みち
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

林泉寺中興開基 上杉謙信公 姉君 2代景勝公実母 綾御前
「仙洞院」。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

2代景勝公正室 「甲州夫人 菊姫」。


===
甲州夫人菊姫の墓
菊姫は米沢藩初代藩主上杉景勝の正室で、父は武田信玄である。
信玄の死後、嫡子勝頼は上杉景勝と和を結び、
天正7年(1579)に妹菊姫を景勝に嫁がせた。
菊姫は甲州夫人と呼ばれ敬愛されたが、慶長9年(1604)京都で逝去。享年47。
川中島で激戦を交えた信玄と謙信の子が結婚する数奇な運命は、
歌舞伎の本朝二十四孝の中の「八重垣姫」のモデルと称される。
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

綱憲公五男 分家祖 米沢新田一万石 「上杉駿河守勝周」。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

3代定勝公室 「鍋島夫人 市姫」。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

そして、上杉家廟所のすぐ隣にあった「武田信清の墓」です。


===
武田大膳大夫信清の墓
武田信清の墓は、高さ2.3m、地輪の一辺77cmの大きな五輪塔で、
各輪に一字ずつ「祖師西来意」の文字が刻まれている。
武田清信(1563~1642)は武田信玄の六男で、上杉景勝に嫁いだ菊姫の弟である。
天正10年(1582)、甲斐国天目山の戦いで武田家は滅亡するが、
信清は逃れて景勝のもとへ身を寄せた。
以後、上杉家の家臣となり、代々高家衆筆頭として明治維新を迎えた。
川中島合戦で激戦を交えた武田家の子孫が、上杉家の重臣として在続したのである。
姉の菊姫の墓も隣接する上杉家墓所に建てられている。
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

===
直江兼続夫妻の墓
米沢藩の基礎を築いた直江兼続とお船の方夫妻の墓で、
向かって左が兼続、右が夫人の墓である。
墓は「万年堂」と称される家型塔婆で、中には五輪塔がある。
正面の3つの穴は、直江家の家紋「三盛亀甲花菱紋」を象ったといわれている。
直江兼続(1560~1619)は、上杉景勝の側近として活躍し、
上杉家の米沢移封後は、米沢城下の整備を指揮し、禅林文庫を創設するなど
米沢藩の基礎を築いた。
お船の方(1557~1637)は賢夫人として知られ、
兼続の死後も三千石の知行を受け上杉家に尽くした。
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

3代定勝公に殉死した「三股隼人吉親」。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

神刺原築城奉行 「鐵孫左エ門泰忠」。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

===
甘糟備後守景継の墓
甘糟景継は、上杉謙信・景勝に仕えた剛勇で名高き武将。
越後上田長尾の家臣登坂清高の嫡男であるが、謙信の命により甘糟家を相続した。
景勝の重臣として、越後の護摩堂城・五泉城・庄内酒田城の城主となり、
慶長3年(1598)には白石城(宮城県)の城主に任じられる。
気骨稜々たる武将であったが、慶長16年(1611)逝去。享年62。
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

===
吉江常陸介宗信の墓
吉江宗信は上杉謙信・景勝に仕えた勇将。
子の景資や孫の景泰も謙信の旗本として活躍した。
天正10年(1582)6月3日、宗信らは魚津城(富山県)を守り、織田信長の大軍と戦い、
宗信以下一族5名が壮烈な戦死を遂げた。信長が本能寺で自害した1日後であった。
吉江家は景資の三男長忠が継ぎ、以後上杉家譜代の重臣として仕えた。
云々。。。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

こらは、上杉氏10代 鷹山公
「お手植えのしだれ桜」。



春日山 林泉寺。[山形県米沢市]

そして、「山門」よりお寺を後にしました。

謙信公と一緒に上越~米沢へとやって来た「林泉寺」。
そして戦国武将たちのお墓。
仲良く並んでいた直江兼続夫婦のお墓がとても印象的でもありました。
こうして見ていると歴史の中でしか知ることの出来なかった偉人たちが
ホントに実在していたんだぁと、しみじみ思います。。。

良いものを拝見できました。
感動ー★



以前の記事はこちらから。
上杉家廟所。その2 [山形県米沢市]
今回は、本丸まで行けなかったけど。。。 その3  林泉寺★上越市

【春日山 林泉寺】
@山形県米沢市林泉寺1丁目

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する