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上杉家廟所。[山形県米沢市]

山形県米沢市です。
前回の続きであります。「上杉家廟所」。

=== 案内板より ===
上杉家廟所
藩祖上杉謙信公の閟宮を中央にして、
その両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。
廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。
9代から12代までの廟は、10代藩主鷹山公の考案による宝形造りで、
材質もスギやヒノキを用い、柱は角柱と簡素になり、藩の財政事情がうかがわれます。
謙信公の遺骸は、甲冑をつけ甕に納められ、
越後春日山(現新潟県上越市)から会津(現福島県会津若松市)を経て
米沢城へ移され、明治9年に現在の場所に移葬されました。
昭和59年(1984年)1月「米沢藩主上杉家墓所」として、国指定史跡となった。
云々。。。



上杉家廟所。[山形県米沢市]
正面にある「謙信公廟所」。

=== もうひとつの案内板より ===
米沢藩主上杉家墓所
歴代の米沢藩主の墓所で、杉木立の中に整然と廟屋が並び、
市民からは御廟所あるいは御霊屋と呼ばれている。
中央正面奥が戦国時代の名将上杉謙信公の廟で、
上杉氏の移封に伴い、越後春日山から会津若松へ、そして1601年、
米沢城本丸へ移された。さらに明治9年にこの地に移葬され、
墓所全体が現在のように整備された。



上杉家廟所。[山形県米沢市]
「景勝公の廟所」。

謙信公の廟屋の向かって左が上杉家2代(初代米沢藩主)景勝公の廟。
元和9年(1623)に景勝公が死去すると、火葬に付され
遺骨の大部分は高野山に納められ、この地には分骨という形で遺灰や衣服を埋めて
五輪塔を置き、入母屋造りの廟屋を建てた。


上杉家廟所。[山形県米沢市]

以後、8代宗房公まで同じ形式で左右交互に廟が造られた。
寛政6年(1794)、世子(次期藩主)の顕孝公(鷹山公の長男)が19歳で急死した際、
火葬から土葬に改められた。
廟屋は宝形造りとなり、以後9代重定公から12代斉定公まで土葬が続いた。
この荘厳な廟所は、東西110メートル、南北180メートルで、樹齢400年を越す老杉があり、
近世大名墓所の代表例として昭和59年に国の重要な史跡に指定され、
平成6年から同20年にかけ保存修理工事が行われた。
云々。。。


上杉家廟所。[山形県米沢市]

手前から、
3代 定勝公、
5代 綱憲公、
7代 宗憲公、
9代 重定公、
11代 治広公、


上杉家廟所。[山形県米沢市]

2代 景勝公、
14代 茂憲公記念碑
4代 綱勝公、
6代 吉憲公、
8代 宗房公、
10代 治憲公(鷹山公)、
世子 顕孝公、
12代 斉定公、
の、それぞれの廟。



上杉家廟所。[山形県米沢市]

上越市にある「春日山城跡」と「林泉寺」に行ったのはずいぶん前。
今回は、本丸まで行けなかったけど。。。  春日山城跡★上越市
今回は、本丸まで行けなかったけど。。。 その3  林泉寺★上越市

会津の鶴ヶ城の中にある上杉謙信公の「仮廟所跡」も行きました。
鶴ヶ城に行ってきました!  ★会津若松市

そして今回、「上杉神社」からの「上杉家廟所」です。
謙信公の追っかけというわけではありませんが、
なにか達成できた感があったりして、
ダイナミックな歴史を目の当たりに出来たりして、
感慨深いなぁ。。。

「上杉家廟所」、とても良いものを拝見できました★



以前の記事はこちらから。
上杉家廟所。[山形県米沢市]

【上杉家廟所】
@山形県米沢市御廟

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