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大宝院塚。[沼田市]

沼田市です。

国道291号沿いの石材屋さんの看板の近く。
静かに佇んでいる小さな祠があります。
こちらが「大宝院塚」です。


=== 案内碑より ===
大宝院塚由来
大宝院は利根郡新治村須川の駒形山大宝院宝蔵寺の院号であり
この塚は同院住職第6世の権大僧都昌月覚端法印が
今から300年前 此処で石子詰めにされて絶命 
地元恩田の人々が遺骸を葬り霊魂を弔い 大宝院塚と呼び供養をつづけている



大宝院塚。[沼田市]

時の沼田城主真田氏5代伊賀守信直は3代信政以来の治水開拓事業を継続
上牧から師に至る4ヵ村用水路を完成して百余町の開田をはじめ
岡谷 押野 月夜野 真庭ほかの用水堰や水田を造成し
表石高3万石を倍余の領地に開発したが1500余の家臣の給米だけでも
3万9000余石と給金を要し 財政窮乏したため 
奸臣らが建策し不法の検地を行い 
高14万余石として重税を課したために苦しむ民百姓を救わんと
真庭村の名主市兵衛は幕府の目付役桜井庄之助に訴状を提出
月夜野町の茂左衛門は置文直訴をした
当の伊賀守は両国橋用材を請負い 10余万人と米5200俵 
金7000両を費やして伐採した材木小屋20余を焼失 納期を失した
かくて伊賀守は 天和元年(1681)11月 領地没収 身は山形城主奥平家へ預けられ
家臣はそれぞれ離散 沼田真田は断絶する

伊賀守の家臣は改易前に 茂左衛門の直訴状を書いた者は 
大宝院昌月法印であったとして捕え 城内で取り調べ帰山を許し
家臣が送り出し 石子詰にして惨殺したと伝えている
云々。。。



大宝院というお寺さんの住職・昌月法印さんが
石子詰の刑に処された場所と伝えられています。
真田信直さんの悪政により沼田藩は改易。

茂左衛門さんの千日堂にも行ってみたいと思います。。。



以前の沼田市はこちらから。
川田神社。[沼田市]

【大宝院塚】
@群馬県沼田市恩田町

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