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日高遺跡。[高崎市]

高崎市にある「日高遺跡」にやって参りました。



日高遺跡。[高崎市]

緑が綺麗な史跡公園であります。


=== 案内板より ===
国指定 史跡日高遺跡(しせきひだかいせき)
日高遺跡の概要
日高遺跡は、群馬県高崎市日高町と中尾町にまたがる
弥生時代後期の集落遺跡である。

■発見と史跡指定
昭和52(1977)年におこなわれた関越自動車道建設に先立つ発掘調査の際に
発見され、弥生時代後期の墓域(方形周溝墓群)と水田跡などがみつかった。
水田跡は、浅間山の噴火で降り積もった軽石(浅間C軽石:3世紀後半頃)
に覆われていたため、保存状態が良く、あぜも残されていた。
さらに、水田に水を供給するための溜池状遺構(ぬるめ)や湧水の存在も
明らかになり、当時の水田稲作の様子をほうふつとさせる発見となった。
その後の範囲確認調査によって、
水田跡の東側で竪穴建物跡も確認されたことから、
居住域・生産域・墓域がまとまって保存されている重要な遺跡として、
平成元(1989)年11月9日に国の史跡に指定された(指定面積:約63000㎡)。
云々。。。


===
日高遺跡の立地と地層
■立地
日高遺跡は、榛名山東南麓に広がる相馬ヶ原扇状地が前橋台地に移行する地域に
立地する。
相馬ヶ原扇状地には多数の河川が流れていて、多くの谷地が形成されている。
日高遺跡のムラには、こうした谷地のひとつを水田域に、周囲の台地を居住域や
墓域にしていた。

■地層
水田跡のある谷地には、浅間山や榛名山の噴火で降り積もった火山灰・
軽石の地層が残されている。
こうした地層は、遺構の年代を知るのに役立つとともに、
地域の災害の歴史を私たちに伝えてくれる。
云々。。。



日高遺跡。[高崎市]

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弥生時代のムラ
■ムラの姿
発掘調査の結果、環濠集落全体が保存されていることがわかった。
環濠集落とは、堀で囲まれた集落のことで、
弥生時代には九州から北陸と関東北西部の広い範囲に分布していた。
日高遺跡の環濠集落は、直径が110~120mで楕円形をしている。
面積は約11000㎡で、陸上競技の400mトラックと同じくらいの広さがある。
環濠の内側に沿って土塁がめぐり、その内部では人々が生活していた。

■水田
環濠集落の西の谷地では、水田が営まれていた。
自然の谷地形を巧みに利用した水田で、谷頭には湧水があった。
発掘調査によって水路やあぜも確認されている。

■墓地
環濠集落の東では円形周溝墓群が、西では方形周溝墓群がみつかった。
円形周溝墓の埋葬施設は、木棺の底の部分に小石が敷きつめられており、
群馬・長野県地域に特徴的な「礫底墓(れきしょうぼ)」と呼ばれるものである。
埋葬施設を取り囲む溝(周溝)には、
土器を使った乳幼児用の棺(土器棺)が納められていた。
一方、方形周溝墓の埋葬施設では、小石は使われていなかった。
云々。。。



日高遺跡。[高崎市]

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水田跡
■狭くて浅い谷につくられた水田
弥生時代後期には、自然の谷地形を利用して水田が営まれていた。
墓域(方形周溝墓群)の西側の谷地では、溜池状遺構(ぬるめ)がみつかった。

■水田への配水
溜池状遺構の谷頭には湧水があり、そこから水をゆっくり流下させながら温め、
水田に配水していたとみられる。東側の谷地の水田域北端部では、
谷地の中に4つの小さな谷筋が確認されている。
この部分は勾配があまりないことから、西側の谷地にある溜池状遺構と同じような
機能をもっていたと考えられる。
そこから右の図のように分水させながら、下流の水田に配水していた。

■水田の区画
水田区画の形はさまざまで、一枚一枚の面積にもばらつきがある。
これは、自然の地形を大きく変えずに利用していたからである。
機械を使って耕作する現代の水田と比べると、だいぶ様子が違っている。
云々。。。



日高遺跡。[高崎市]

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弥生時代の農業
■水田稲作
弥生時代の農業は、水田稲作が中心であったと考えられている。
日高遺跡でも、炭化した米粒や生々しい状態の稲籾が出土している。
炭化した米粒は竪穴建物跡から、稲籾は環濠から出土した壷の中でみつかった。
米粒のDNA分析や水田土壌のプラントオパール(植物珪酸体)分析の結果から、
温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの両方が作付けされていたことがわかった。
云々。。。



日高遺跡。[高崎市]

日高遺跡。[高崎市]

日高遺跡。[高崎市]

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環濠
■環濠の大きさと形
集落を取り囲んでいる壕(堀)を環濠と呼んでいる。
日高遺跡でみつかった環濠は、断面がV字形をしていて、深さ約1.2m、
幅2.0~2.5mの規模がある。
発掘調査の結果から、弥生時代には深さが1.6mほどあったと推定できる。
云々。。。



日高遺跡。[高崎市]

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環濠集落
■時代背景
日高遺跡で環濠集落がつくられたのは、倭国の大乱の結果、
卑弥呼が倭国の女王に擁立された頃(2世紀末頃)のことと考えられる。
中国では後漢(25-220)が弱体化し、群雄割拠の時期(184-220)を経て、
魏・呉・蜀の三国時代(220-280)に入る。
日本列島でも、古墳時代へむけて再編の時代に入っており、
戦いがあったことが知られている。

■なぜ集落を壕で囲んだのか?
①外敵から防衛のため、②居住域を区画するため、③共同作業(環濠の掘削)により
地域の結束を確認するため、などの考え方が出されている。

■日高遺跡の場合は?
発掘調査の結果から、環濠は集落ができた時には必要なく、
のちに必要となり掘削されたことがわかった。
環濠が防御性の高い施設であることから、日高遺跡の場合は、
①の「外敵から防御のため」が主たる目的であったと考えられる。



日高遺跡。[高崎市]

■環濠の内部は?
環濠の内部は広さが約11000㎡あって、居住域になっている。発掘調査では、
竪穴建物跡が確認されており、そのうちの約半数から火災の痕跡がみつかった。
倉庫にどの掘立柱建物跡はみつからなかったが、存在した可能性が高い。

■集落の出入口は?
集落の出入口は木橋か土橋であったと考えられるが、確認されていない。
云々。。。



案内板の説明書きがしっかりしていて分かりやすい~♪
線路の向こう側と関越自動車道の高架下にも遺跡があるらしく、
今後、整備される予定なのだとか。
楽しみですネー★

高崎市にある「日高遺跡」でした。
ヨカッタ~。。。



以前の遺跡はこちらから。
北谷遺跡。[高崎市]

【日高遺跡公園】
@群馬県高崎市日高町

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