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かみつけの里博物館。[高崎市]

八幡塚古墳を堪能した後は、
かみつけの里博物館」へ♪


かみつけの里博物館。[高崎市]

かみつけの里博物館。[高崎市]

こちらの博物館には県内各地からの発掘遺物や、
パノラマなどの復元模型が展示されています。


=== 案内板より ===
模型は、高崎市の下芝遺跡群、諏訪西遺跡、西国分Ⅱ遺跡、
渋川市の中筋遺跡、黒井峯遺跡などの調査から諸要素を取り出して復元した
古墳時代の一般的なムラの姿である。
ムラには様々な形態があるが、ここでは竪穴住居1軒に
柵で囲まれた施設群が付属する形を基本単位とした。
柵の中には、祭祀場と畑、複数の平地建物
(住居・作業小屋・倉庫・家畜小屋)などがある。
こうした単位が集まり、道で結ばれムラとなっている。
ムラには共同の水場や大祭祀場があり、周りには畑が広がる。
畑地帯の範囲は予想以上に広く、ヒエ・アワ・キビ・ソバなどの雑穀、
菜・芋・根菜などの野菜が、稲と共に、王と民の経済を支えたようだ。
云々。。。


かみつけの里博物館。[高崎市]

「祭祀に使われた土器」。



かみつけの里博物館。[高崎市]

「住まいの中の道具類」。



かみつけの里博物館。[高崎市]

===
履けないくつ
下芝谷ツ古墳の飾履の復元品
谷ツ古墳から発見された飾履は、今のところ国内最古の資料であり、
次のような特徴をもっている。


かみつけの里博物館。[高崎市]

●金メッキした銅板4枚で作られている(普通は3枚)。
●忍冬唐草文や花文をデザインし、透し彫りやタガネ彫りで飾られる。
●対角線上に銀の座金に収めたガラス玉をあしらい、多量の歩揺を取り付ける。
このような造りや模様の組み合わせは半島にも例がなく、
どこで製作されたのか、どういう経緯で榛名山麓にもたらされたのか
大きな問題を投げかけている。


かみつけの里博物館。[高崎市]

また、このくつは、底にもガラス玉が付いてあり、履いて歩くことができない。
このため、儀礼や葬送用のものと考えられる。
云々。。。



かみつけの里博物館。[高崎市]

かみつけの里博物館。[高崎市]

「家の埴輪」。


かみつけの里博物館。[高崎市]

「馬具をつけた飾り馬」。


かみつけの里博物館。[高崎市]

===
盾持ち人
器財埴輪の盾に頭を足したもので、5世紀の後半に出現した。
頭上に横棒をのせた形が多いが、他にも様々な被り物がみられる。
異様な顔つきが多く、魔除けの埴輪であったと推定される。
云々。。。


かみつけの里博物館。[高崎市]

===
武人埴輪
はじめは器財埴輪である甲冑形埴輪が作られ、やがて顔面が付き、
5世紀後半から2本足の武人埴輪が出現する。
6世紀になると、刀に手をつがえるスタイルが様式化されてゆく。
云々。。。


かみつけの里博物館。[高崎市]

「女性埴輪」。


かみつけの里博物館。[高崎市]

===
王の埴輪
王を現したと思われる埴輪たちの豪華な装備に注目しよう。
頭にかぶった冠は、1つとして同じ表現はない。
銅と金でつくられたもの、革製のもの、繊細な絹や布でつくったものなど
様々な冠があったのだろう。
服や帯の模様、腰に帯びた大刀も華麗である。
そして、彼らの座り方・手つきやも威厳をおびて堂々としている。
云々。。。



所狭しと展示さている、いろいろな表情の埴輪達を見てまわりましたが、
中でもヒジョーに興味深かったのはこちらです。
豪族の館。。。

かみつけの里博物館。[高崎市]

=== 案内板より ===
三ツ寺Ⅰ遺跡と北谷遺跡
~日本を代表する豪族居館~
同じ設計の居館
高崎市の三ツ寺Ⅰ遺跡と北谷遺跡は、わが国を代表する豪族居館として知られる。
両者は約3km離れて存在するが、ほぼ同形、同規模で、5世紀後半に並存していた。
よってこれらは、異なる系統の豪族が営んでいたものであり、
同族関係から同じ設計を採用したと考えられる。
三ツ寺Ⅰ遺跡の主は榛名山南麓(井野川水系)を支配し、
北谷遺跡の主は現在利根川となっている榛名山東麓の水系を治めていたと推定される。


三ツ寺Ⅰ遺跡のつくり
館の本体は86m四方で、張出を設け、柵を巡らす。
内部は2ゾーンに分かれ、北側は従者や工人がいる家政ゾーンである。
南側は儀礼ゾーンで、主殿や井戸、外部から導いた聖水を流す「石敷きの祭場」があり、
祭場では流水を介した農耕儀礼が行われた。
館の外周斜面には石を貼り、幅30m・深さ3mの大規模な濠を巡らす。
濠は、貯水池を兼ねる造りとなっていた。


かみつけの里博物館。[高崎市]

集団の心をまとめる祭祀
これらの居館は、聖水を用いた農耕祭祀の場であり、
水利権を支配した「治水王」の地域経営拠点でもあった。
なお、三ツ寺Ⅰ遺跡の主はその死後保渡田古墳群に埋葬された。
一方、北谷遺跡の主の墓は前橋市総社町周辺の古墳(王山古墳など)が候補にあげられる。
2000年に発見された北谷遺跡は、すぐさま国史跡に指定された。
しかし、三ツ寺Ⅰ遺跡は社会科教科書にも掲載されているが、
いまだに未指定であり、保存が今後の課題となる。
云々。。。



住居跡の遺跡と古墳の関係。
保渡田古墳群に眠るのは三ツ寺Ⅰ遺跡の主、
総社町周辺の古墳は北谷遺跡の主。。。
お家の近くにお墓を建てた、みたいな感じなのでしょうか。
興味シンシンであります。。。



以前の記事はこちらから。
保渡田古墳群 八幡塚古墳。[高崎市]

【かみつけの里博物館】
@群馬県高崎市井出町

コメント
この記事へのコメント
北谷遺跡の首長の古墳は見つかっていません。周辺に小型古墳はありますが、時代が合いません。謎の多い遺跡です。
2019/06/18(火) 19:13 | URL | 上州の人 #kUr9nKys[ 編集]
上州の人 さま☆
豪族居館跡と古墳の関係は考えたことも無かったので、
ナニゲに新鮮で、オドロキです。

2019/06/19(水) 06:44 | URL | BECCAN #-[ 編集]
因みに、三ツ寺1遺跡のような豪族居館跡は、群馬県内では、伊勢崎市の原ノ城遺跡、高崎市の三ツ寺1遺跡、北谷遺跡、富岡市の本宿・郷土遺跡などで見つかっています。また、ヨロイを着た古墳人が見つかった渋川市の金井遺跡群では、約60m四方の豪族居館跡と思われる「囲い状遺構」が見つかっています。
なお、5世紀の政権の中心だった東毛地域ではこのような遺跡は見つかっていません。しかし、当時最先端だったと思われる構造や品が見つかった中溝・深町遺跡周辺にあるとされる説が有力になってきています。
2019/06/20(木) 00:03 | URL | 上州の人 #kUr9nKys[ 編集]
上州の人 さま☆
おぉ~、貴重な情報ありがとうございます♪
先日、渋川市のあの辺りを通ったら、ブルーシートがかけられている場所があったので、
まだ調査が続けられているみたいですね。
2019/06/20(木) 05:50 | URL | BECCAN #-[ 編集]
金井遺跡群は平成24年11月19日にヨロイを着た古墳人(1号人骨、40代男性、渡来系 長野県伊奈地方出身か)と乳児(2号人骨 性別不明)が見つかり、その後、首飾りの古墳人(3号人骨 30代女性 東北系の顔立ち 出産経験有)、幼児(4号人骨 性別不明 5歳前後)が見つかりました。なお、首飾りの古墳人と乳幼児との親子関係は不明です。
さらに、金井下新田遺跡で計5頭の馬と、10代の古墳人(10代 詳細不明)とまが玉の古墳人(10代 金井遺跡群周辺の出身)が見つかっています。
※一応載せておきますが、今回発掘されたのは上信自動車道金井バイパス建設予定地の幅約30m、全長1.2kmほどのみです。現在までに確認された被災した古墳人は6人ですが、発掘地から西側の崖まで最長で50mあるので、今だに埋もれている古墳人がいる可能性が高いです。
加えて、もし乳児と首飾りの古墳人の間に親子関係がなければ、その時点でもう1人被災したことになります。さらに、現代のように予測技術がほとんどない5世紀後半なので、被災者は6(7)人以上いる可能性が高いです。
2019/06/22(土) 01:40 | URL | 上州の人 #kUr9nKys[ 編集]
上州の人 さま☆
なんと、6人も発見されているのですか?!
良く残ってましたね~(汗、、、
調査後って、やっぱり埋め戻されてしまうのでしょうか?

2019/06/22(土) 06:23 | URL | BECCAN #-[ 編集]
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