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2019/051234567891011121314151617181920212223242526272829302019/07

田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

長野県埴科郡坂城町です。
〝村上義清公墓所〟を訪ねたら、小さなお堂がありました。

田町十王堂」であります。


=== 案内板より ===
田町十王堂(閻魔堂)
閻魔堂とも呼ばれている田町十王堂。十王とは人の死後、初七日から
三周忌までの間に冥途の十人の王が十回の裁判をして、
来世の行先を決めるという、十王信仰に由来するものです。

これは、中国の道教の影響によるもので、十王のうち怒った顔で有名な
閻魔王の本当の姿が地蔵菩薩であることから、その信仰が盛んになるにつれて、
閻魔王が十王の中心になったといわれています。


田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

生前に十王にお参りすると、死後の裁判のとき手心を加えてくれるとされ、
信仰は人々の間に広まり江戸時代は各村落に十王堂が設けられていました。
十王の祭りは正月と盆の16日、つまり薮入りの日で閻魔の斎日とよばれていました。
田町の祭りは盆(8月16日)のみですが、
地域住民により現在も賑やかに引き継がれています。

明治初年、新政府の廃仏毀釈政策で檀家のない十王堂はすべて廃されました。
そのころ田町の堂は、火災にみまわれましたが、諸像は運び出されて無事でした。
庶民の十王に対する信仰は根強く、地区の公会堂を設けたときに、
十王像などを安置し、やがて祭りも復活しました。
地獄の沙汰も金次第といわれますが、人々にとって、
来世で地獄に落されることは最大の恐怖だったのです。
田町十王堂は、近隣の十王堂が廃されたことから多くの参詣客を集め、
当地でもっとも人出の多い祭りといわれました。
また十王堂は遊郭の少女達の教育の場としても使われ、
出浦氏の墓地にあったお堂を利用して祀られたと考えられています。

十人の裁判官と本地仏
忌日    十王    本地仏
初七日  泰広王   不動明王
二七日  初江王   釈迦如来
三七日  宋帝王   文殊菩薩
四七日  五官王   普賢菩薩
五七日  閻羅(魔)王 地蔵菩薩
六七日  変成王   弥勒菩薩
七七日(四十九日) 太山王  薬師如来
百ヵ日   平等王   観世音菩薩
一周年  都市王   大勢至菩薩
三周年  五道転輪王  阿彌陀如来
云々。。。


田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

で、
十王堂の脇を通った奥に。。。


田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

村上義清公墓所」があります。

===
村上義清公墓所
この墓所は、第三代坂木代官長谷川安左衛門利次が、
名家遺跡の忘失を憂え、戦国の雄将村上義清公の墓所建設を思い立ち、
明暦3年(1657)義清の玄孫義豊や村上氏の臣出浦氏の子孫、
正左衛門清重らにはかり、自ら施主となって出浦氏所有の墓所に、
義清供養のための墓碑「坂木府君正四位少将兼兵部小輔源朝臣村上義清公神位」を
寄進によって設立したものである。


田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

その後、寛保2年(1742)清重の子清平が玉垣を築き、
寛政3年(1791)清平の子清命が、石柱「御墓所村上義清公敬白」を建てた。


田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

昭和45年以来諸整備補修が行なわれ、昭和47年墓碑の上屋と鉄棚が設置された。
平成8年には全面的改修となり、現在の諸施設になった。
云々。。。


田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

===
武田信玄を唯一討ち破った勇将
村上義清

信濃を舞台に繰り広げられた「川中島の戦い」。
戦国屈指の好敵手、武田信玄と上杉謙信ばかりに脚光が当たるが、
この合戦のきっかけを作ったのは、信濃の剛勇・村上義清。


田町十王堂。[長野県埴科郡坂城町]

坂城一帯の領主だった義清は、電光石火の早業で、信濃全域の掌握をもくろむ
信玄の前に立ち塞がり、1度なず2度勝利している。
云々。。。



以前の記事はこちらから。
坂城神社。[長野県埴科郡坂城町]

【村上義清公墓所】
@長野県埴科郡坂城町坂城

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