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貫前神社。[富岡市]
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久しぶりにやって参りました「貫前神社 nukisaki-jinja」です。
延期式内社、上野国一宮であります。
in 富岡市。

駐車場から「鳥居」までの階段を上りると、


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「総門」が現れます。


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総門の前にあるのがこちらの「唐銅製燈籠」です。


=== 案内板より ===
貫前神社 唐銅製燈籠(からがねせいとうろう)
高さ約395センチの一対の銅製灯籠で、慶応元年(1865年)製作、
慶応2年にここに建てられた。
灯籠の基礎部と竿部の間に、灯籠建立の際の献納者名・
住居地・献納額が2段に刻まれている。
献納者の人数は合計で1544名、献納額は総額4790両にのぼり、
地元の多数の養蚕農家を初め、上州・江戸・横浜の生糸・絹商人らが献納している。
本県をはじめ、周辺各地における養蚕・製糸業の繁栄興隆と、
これに携わる人々の祈念を明確に示す資料として重要であり、
7年後に開業した官営富岡製糸場の先駆的記念碑ともいえる重要な文化財である。
云々。。。


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総門前の「狛犬」クン。


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総門をくぐると階段を下った先に社殿があります。
珍しい〝下り参道〟であります★


=== 案内板より ===
一之宮貫前神社(ぬきさき神社) 上野国一之宮
御祭神
経津主神・ふつぬしのかみ 建国の功神 武神 物部氏祖神
姫大神・ひめおおかみ 御名不詳 当地方の守護神 養蚕機織の神

御創建
今より千四百余年前、安閑天皇元年(西暦531)に
物部姓磯部氏により蓬ヶ丘菖蒲谷に祀られる

御社殿
徳川三代将軍家光公による寛永12年(西暦1635)の造営
総漆塗極彩色の建造物で本殿・拝殿・楼門は国指定重要文化財

境内
北斜面の森を含め約2万6千坪
社殿の他に経蔵・三重塔跡等、神仏習合時代の仏教遺跡が残存

祭儀
古式の特殊神事等数多く年間71度の神事あり
云々。。。


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下り参道途中、月読神社前、2対目の「狛犬」クン。


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「月読神社」です。


===
末社 月読神社
月読神社の現在の社殿は、寛永12年以前の旧御本社拝殿を牛王堂として使用し、
明治維新以後、月夜見命をお祀りして月読神社と改称した。
明治41年、近在の氏神である社久司神社(秋畑琵琶澤)
雷電神社(秋畑二ツ石)、湯前神社(秋畑裏根)、近戸神社(富岡市野上)の
各社を合祀した。
月夜見命他17柱の神々をお祀りしている。


貫前神社。[富岡市]

「手水舎」。


貫前神社。[富岡市]

「楼門」。

貫前神社。[富岡市]

「拝殿」。


貫前神社。[富岡市]

「若御子神社」。


===
摂社 抜鉾若御子(ぬきほこわかみこ)神社
抜鉾若御子神社は安閑天皇の御代に現れたと伝え上野国神明帳に
従五位抜鉾若御子明神と記載されている。
明治38年に一ノ宮字若宮の地より現在地に遷座され、現在の社殿は
棟札によると文化12年の建立と伝う。
云々。。。


貫前神社。[富岡市]

「本殿」。


===
社殿(本殿、拝殿、楼門、東西廻廊)
現在の社殿は徳川三代将軍家光公の命による寛永12年(1635)の
造営である。


貫前神社。[富岡市]

「元禄11年(1698)五代将軍綱吉公の命により大修理した」
江戸時代初期の極彩色総漆塗の精巧華麗な造りであるだけでなく、
本殿の構造が単層二階建の俗に「貫前造」という当社独特の社殿形式と
「雷神小窓」と称す小窓が設けられていることから、
明治45年旧国宝、昭和25年國指定重要文化財に指定さている。


貫前神社。[富岡市]

拝殿、楼門(昭和51年国指定重要文化財に追加指定)及び東西廻廊は、
同時代の建築である。
云々。。。


貫前神社。[富岡市]

「大杉」。

===
藤太杉(とうたすぎ)
樹齢約1200年と伝う。天慶2年下野國唐澤山(現、栃木県佐野市)の
城主藤原秀郷(俵藤太秀郷)が、平将門討伐の際、当神社に参詣し
年の数36本の杉苗を奉納した。
その内の1本だと伝う。
云々。。。


貫前神社。[富岡市]

「神楽殿」。


貫前神社。[富岡市]

===
勅額鳥居
勅額鳥居は清和天皇の御宸筆による額が掲げられていたことから、
この名前が付いたと伝えられ、元々は一之宮大字田島字鳥居にあったものを
寛永12年(1635)に移築したものである。
現在の額は明治6年(1873)に有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみやたかひとしんのう)
の御染筆の神号額が掲げられている。

勅使門(不明門・あかずのもん)勅使門は朱雀天皇の御代(930~946)奉幣の為
勅使参向の際に設けられた。
勅使参向の時のみ開かれ普段は開門されないことから「不明門」と称されたと云う。
現在では、春と冬の御戸開祭と流鏑馬祭の年3回開門される。
云々。。。


貫前神社。[富岡市]

===
三重塔礎石
現在地を俗に「お塔址」と呼び、古くは三重塔、薬師堂、観音堂、六角堂、
鐘楼等の諸堂が軒を並べていたが、天保12年(1841)1月8日の社領内より失火
(俗に灯篭火事)の為に焼失し、弘化2年(1845)より再建が計画されたが再建されず、
ただ礎石によって当時の繁栄が偲ばれる。
大塔本尊は慈覚大師であったという。
云々。。。


貫前神社。[富岡市]

「末社」が集まっているスペース。
おじさん達がなにやら作業中でした。


貫前神社。[富岡市]

~当社は物部氏が祖神を祀ったことに始まり、古代には朝廷から、
中世以降は武家からも崇敬された~
と、ウェキペディアに紹介されています。
とても歴史のある神社さんです。

また来よう、また来てみたい、貫前神社。。。
良かった~★



以前の記事はこちらから。
上野の国の一之宮  富岡市★貫前神社 
以前の富岡市はこちらから。
群馬サファリパーク。Vol.2 [富岡市]

【貫前神社】
@群馬県富岡市一ノ宮

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