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大東神社。[伊勢崎市]

伊勢崎市にある「大東神社」です。

こちらは南側入口。


大東神社。[伊勢崎市]

こちらは植物公園のある西側の入口。


大東神社。[伊勢崎市]

3つある神社への入口の中でも、きっとこちらが正面。
石製の「鳥居」が2つ連なります。


大東神社。[伊勢崎市]

大東神社の「社号標」が建ちます。


大東神社。[伊勢崎市]

左手に「弁天橋」。


大東神社。[伊勢崎市] 大東神社。[伊勢崎市] 大東神社。[伊勢崎市]
(写真はクリックで大きくなります。)

「手水舎」と「狛犬」クン。


大東神社。[伊勢崎市]

大東神社。[伊勢崎市]

「拝殿」。


大東神社。[伊勢崎市]

「本殿」。


大東神社。[伊勢崎市]

本殿の後ろにあった「境内社」。
稲荷神社かな?。。。


大東神社。[伊勢崎市] 大東神社。[伊勢崎市]

「ご神木」と、昭和46年に建てられた
「大東神社合併六拾周年及社殿修復記念之碑」。

記念之碑によると、主祭神は事勝国勝長狭神で、
初めは夷毛野大明神と呼ばれ、大正時代に大東神社に改称。
合併、移転をされて来た神社さんのようです。


大東神社。[伊勢崎市]

境内には陣屋跡もありました☆
というか、陣屋の跡地に神社が引っ越してきたみたいですネ。


===
旗本久永氏陣屋跡
現在の東小保方地区は江戸時代には東小保方村と呼ばれ、
徳川家の旗本久永源衛重勝の領地でした。
久永氏は石見国(島根県)の出身であり、埼玉や茨城にも領地が点在する
禄高3200石の旗本でした。

東小保方村は石高が1182石の村であり、久永氏は村の支配のために
この地に陣屋を設けました。陣屋は東西75メートル、南北120メートルの大きさで、
濠や土居が構えられていました。
濠はその後拡幅されて池となってしまい、現在では南池の南端と西池の東端に
わずかに当時の面影が残されているのみです。

南面には正門を有し、更に南へと通路が続いて細長い大手枡形となり、
南端には木戸が設けられていたものと思われます。
この形は陣屋特有のものであり、県内でも吉井や岩鼻の陣屋がこれと同じになっています。
明治維新後陣屋は廃され、一時期小保方小学校として使われるとともに、
大正2年には周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っているものです。
云々。。。



以前の陣屋はこちらから。
羽生陣屋跡。[羽生市]

【大東神社】
@群馬県伊勢崎市東小保方町

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