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瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]

細い道をくるくる回って、ようやく辿り着きました。
伊勢崎市にある「瑳珂比神社 sakai-jinja」です。


瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市] 瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市] 瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]
(写真はクリックで大きくなります。)

初めは〝境城〟をチェックしていたのですが、
どうやらお城の遺構は残っていないようで。。。
というわけで、城内に建てられたと伝わる
こちらの神社さんにやって参りました★

「一の鳥居」、「手水舎」、&「二の鳥居」。


瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市] 瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]

社殿の前には、狛犬クンならぬ、「おキツネ」さま。


=== 案内板より ===
瑳珂比神社
一、所在地 佐波郡境町大字境493番地
一、祭神  主祭神 倉稲魂命
一、配祀神 火産霊命 建御名方命 素盞鳴命
一、配祀神 大物主命 菅原道真命 鎮西八郎為朝命
一、配祀神 誉田別命 大日孁命


瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]
「拝殿」。

由緒
当社の創建は戦国期に能登半島より小此木左衛門尉長光来り
境他6ヶ村を領有した守護神として生国能登国の石動明神の分霊を
境城内に奉斎した大永年間(1521~1527)とされている。


瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]
「本殿」。

瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市] 瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]

長光の子左衛門次郎は正親町天皇の御代の元亀3年(1572)武運長久を祈って
稲荷の神像と石製の剣を奉納し石剣権現と称した。
御陽成天皇の天正8年(1590)小此木氏が当地を退去すると
郷民は当社を鎮守社と定め石剣稲荷大明神と改めた。


瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市] 瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]
「境内社いろいろ」。

後に那波、新田両郡の境に当るため境村となり後光明天皇の正保4年に
例幣使街道が開設され宿場町になると次第に町並みも形成され
慶安年間(1648~1651)には境町となった。

桃園天皇の宝暦11年(1761)拝殿が造営され
後桜町天皇の明和3年には石鳥居が建立された。


瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市] 瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]

後桃園天皇の安永2年社前に押花絵馬(境町最古の絵馬)が奉納され
光格天皇の享和元年(1801)には氏子の発起により現在の社殿が建設されている。
その後も神域は整備され明治7年には村社に列された。
明治40年9月に町内諏訪神社境内末社菅原神社、八幡宮疱瘡神社、八坂神社、
稲荷神社、神明宮、琴平宮、秋葉神社を合祀し現在の瑳珂比神社と改称し今に至る。
云々。。。


瑳珂比神社 sakai-jinja。[伊勢崎市]

===
例幣使道と六斉市
境宿は、柴宿と木崎宿の間の宿でした。文久三年(1863)
幕府から日光例幣使道の宿場に取り上げられました。

当時の町並みは、463メートル余り、道幅は14メートル余りあったようです。
境宿では、2と7の付く日の月6回糸市が開かれ「六斉市」と呼ばれていました。
この市では、「さかいさげ」と賞された生糸の取引が盛んでした。
その様子は、境島村の画家金井研香の『境街糸市繁昌図』(市指定重要文化財)
に描かれています。江戸の学者寺門静軒は
「外貨は地にあふれて限りない水のようだ」と讃しています。

高札場には、この市の守護神として天王宮が祀られていました。
この宮の祭りは盛大で、近郊の村々から見物客が多く訪れたということです。
祭りは、現在の「境ふるさとまつり」に引き継がれています。
云々。。。


覆屋の中の本殿は意外に大きくて迫力がありました。
なかなか居心地の良い神社さんだったなぁ。



以前の城跡はこちらから。
~桜~ April. 2018。[邑楽郡大泉町*城之内公園]

【瑳珂比神社】
@群馬県伊勢崎市境

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