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2020/051234567891011121314151617181920212223242526272829302020/07

平原遺跡。[福岡県糸島市]

平原遺跡」です、in 糸島市。
平原と書いて〝hirabaru〟と読みます。

来てみて、案内板を拝見して驚愕の文字がっ(汗、、、
八咫鏡、天照大神。。。!
帰ってきてから、も1度調べてみてさらに驚く(汗、、、
卑弥呼の墓。。。!

そんな素敵な遺跡でありました (=゚ω゚)ノ


=== 案内板より ===
国指定史跡 曽根遺跡群 平原遺跡
1965(昭和40)年と1988(昭和63)~1999(平成11)年に発掘調査され、
弥生時代中期初頭の竪穴住居跡7棟、壺棺墓1基・木棺墓4基、
弥生時代後期の墳丘墓3基・大柱遺構3基・特殊建物跡1棟・
古墳時代前期の円墳2基・土壙墓12基・時期不詳の掘立柱建物3棟
などが発見された。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

このうち、弥生時代終末期の1号墳は14m×10.5mの長方形状の平面形で、
幅1.5m~3.0mの周溝で区画し、排水溝を持った墓である。
主体部である広さ4.5m×3.5mの墓壙中央には、長さ3.0m、幅0.7m~0.9mの
割竹形の木棺が納められていた。
棺の内外から銅鏡40面、ガラス勾玉3点・管玉30点以上・連玉886点・
丸玉約500点・小玉482点、メノウ管玉12点、ガラス耳璫2点、水銀朱、
鉄製素環頭大刀1本などが出土した。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

特に直径46.5cmの古代で世界最大の超大型内行花文鏡5面を含む
銅鏡などの豊富な副葬品から、1号墳は巫女的な性格をもった
伊都国の女王墓と推定される。
なお、超大型内行花文鏡を八咫鏡として、「日本書紀」などにみられる
大日孁貴(おおひるめのむち)の墓と考える原田大六先生の説がある。
云々。。。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

===
平原弥生古墳
ここはかつて塚畑と呼ばれていました。
Iさんが農作業中に、突然、多量の銅鏡片などが出土。
1965年(昭和40年)1月のことでした。
さっそく2月~5月にかけて前原在住の考古学者原田大六氏を
調査主任として発掘調査が進められました。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

驚きの発見の中で、特に注目を集めたのが、39面にのぼる
銅鏡群でした。さらに、日本最大の白銅鏡については、原田大六氏は
伊勢神宮の御神体である八咫鏡(やたのかがみ)と考察されました。
それは、後漢尺で測ると直径2尺(46.5センチ)、その周囲は、
八咫(145センチ)の寸法を持っていること。
さらに『延喜式』や『皇大神宮儀式帳』に記された八咫鏡を納めた
「樋代(ひしろ)」の寸法が平原大鏡の径に近いこと、『御鎮座伝記』記載の
鏡の特徴が「八頭花崎八葉形也」から平原大鏡こそ伊勢神宮の
『八咫鏡』と同型鏡であると結論づけられました。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

さらに、原田大六氏は墓の副葬品に武器が少ないこと、
装身具が多いことなどから被葬者を女性と推定され、そして、鏡・大刀・勾玉
という『三種の神器』が副葬されていたことから『天照大神』(神格名・
大日孁貴おおひるめのむち)の墓であると確信されました。

伊都国こそ『天皇の故郷』とする原田大六説の論拠は、
ここ平原弥生古墳で見つかった『三種の神器』が東遷して大和に至ったと
推測されたものです。
なお、この遺跡の発掘調査報告書は、原田大六著『平原弥生古墳 大日孁貴の墓』
として発行されています。
云々。。。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

===
伊都国のあけぼの
日本国家発祥の地といわれる伊都国は、古代から農耕文化が栄えた。
とりわけ稲作を行うに当たっては暦が必要だ。
暦のない当時はこれを天体観測に頼る外はなかった。
高祖山から日向峠に至る日の出の位置がこれを決めたのである。


平原遺跡。[福岡県糸島市]

香ぐわしき伊都国の文化は高祖山の日の出なくして語ることはできない。
輝かしく、厳かな日の出は伊都国の誇るべき歴史を語りかけ、
久遠の歴史を証する。
それは伊都国に住む者に、伊都国を故郷に持つ者に、誇りを、
希望を、勇気を、そして果てしないロマンを与える。
云々。。。


糸島市、恐るべし。。。



以前の記事はこちらから。
石ヶ崎支石墓。[福岡県糸島市]

【平原遺跡】
@福岡県糸島市曽根

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