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雲谷寺の桜。[沼田市]

雲谷寺」であります。
前回に続いてのin 沼田市です。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

本堂左手、墓地の手前にあるのがこちらです。
新田義宗公 慰霊詩碑」。
碑の裏側に云われが記してありました。


=== 石碑より ===
この漢詩の由来
父新田義貞と2人の兄の亡き後 新田氏族の総師となった左近衛少将義宗は
応安元年1368年3月 鎌倉の関東管領を討ち 関東の地を奪還すべく
越後で挙兵した
新田勢7千 押し寄せた足利勢6万 沼田台地滝棚の原で
3ヶ月に及ぶ激戦となった 新田勢の敗色が濃厚となった7月
高平の森で手勢を指揮していた義宗は 突然現れた敵勢の放った矢に
右目と身を射ぬかれ うつ伏せに落馬し絶命した 時に37歳であった

戦いが終わり 足利勢が撤兵した後 義宗の遺臣は池に隠した 
義宗の遺体を火葬にし 義宗陣没の森にその御霊を祀った
御霊を「うつぶし明神」 森を「うつぶしの森」と称し今に伝えている

義宗の死後3年目の応安3年=1370年 義宗の執事船田長門守経政は
ここ雲谷寺に義宗の墓として 無銘の五輪塔を建てた
云々。。。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

こちらは新田氏と足利氏の「殉難者諸精霊供養塔」。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

そして、高台の一番後方にあるのがこちらです!
五輪塔」。
新田義貞さんの三男、義宗さんのお墓と伝わるこの五輪塔。
これが見たかった。。。


=== 案内板より ===
五輪塔
南北朝時代の主将新田義貞の嗣子新田義宗は、
いとこの脇屋義治と正平23(1368)【北朝暦応安元】年上越国境で挙兵し、
足利軍との戦いで敗死、義治は出羽国に逃れる。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

義宗討死後、義宗の執事であった船田長門守経政
(新田義貞の執事船田善昌の子)は、うつぶしの森北方、ここ雲谷寺の高台に
義宗の墓を建てた。

三基の内、中央無銘の塔が義宗の墓と伝えられている。
右の塔は、船田長門守経政の墓といわれる。
逆修畣(畣は塔の古文字)と刻んであるところから、
経政は生き永らえたわが身の逆修に託して、
故主や多くの同僚のためにその三回忌である建徳元(1370)
【北朝暦応安三】年に、この古戦場近く五輪塔を建てたものだと思われる。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

左の塔には、聖慶禅尼生年二十八とあるがいかなる人物か定かでない。
塔は現在地より下手土中に埋もれていたものが、
墓地改修にあたり発見され、現在地に移された。
(注)逆修 生者が生前に墓を建てること。
云々。。。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

五輪塔の後ろにそびえる「大杉」。

===
雲谷寺の大杉
新田義宗の墓といわれている五輪塔の後ろにそびえる大杉で、
長い間、五輪塔を見守り続けている。
スギは一属一種の日本特産の針葉樹である。
北は青森県から南は屋久島まで広くみられるが、
古くから植栽されてきたので、本当の自生地域が判明しない。
大変古い残存植物と考えられている。
材の性質から用途は広く、日本の代表的造林木である。
云々。。。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

五輪塔のある高台からの眺め。


雲谷寺の五輪塔。[沼田市]

帰り際。
真田家の家紋だ。。。



以前の記事はこちらから。
うつぶしの森。[沼田市]
以前の新田さんはこちらから。
徳川義季公累代墓~、新田家累代墓。[長楽寺*太田市]

【雲谷寺】
@群馬県沼田市白沢町高平

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