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秋田城跡。[秋田市]

秋田城跡歴史資料館に続いてやって参りました、
秋田城跡」ですっ。

資料館の前、道路をはさんで反対側にあります。


秋田城跡。[秋田市]

城跡といっても、戦国時代にあったような
天守閣のあるお城ではなくて、古代大和朝廷が造った
城柵(じょうさく)です。


秋田城跡。[秋田市]

建物とかは無くて、
門や塀が復元されたシンプルな史跡だけれど
楽しみ~♪


秋田城跡。[秋田市]

=== 案内板より ===
北東建物跡
ここでは5回建替えられた建物跡が見つかっています。
Ⅰ期~Ⅲ期の建物はいづれも東西の方向に長く、
Ⅱ期では、東西両側に壁で仕切られた部屋があり、
建物の南には、目隠し塀が付いていました。
壁で仕切られた部屋のある役所の建物は、後殿や脇殿に見られますが、
分室化されているのは、建物の機能や使われ方に関係があるものと考えられます。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]

===
正殿跡
正殿は、秋田城で最も重要な建物です。
庁内の建物で正殿やその前面の広場では出羽国の政務を執り行ったり、
定期的に貢ぎ物を持って訪れる蝦夷に対しての贈り物、
宴も行われていたと考えられます。
また、時には外国からの使節を迎えての儀式も行われていました。
この建物は、同じ場所で6回建て替えられています。
最後の建物は石の上に柱を立てる礎石式の建物ですが、
それ以前の建物は直接地面に柱を埋め立てる掘立式の建物でした。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]
政庁第1期 (733年~770年頃)

===
政庁とは
政庁の機能
政庁は、秋田城跡で最も重要な区域です。
政庁内の建物である正殿やその前面の広場では出羽国の政務を執り行ったり、
定期的に貢ぎ物を持って訪れる蝦夷の人々を迎え、味方に引き入れる目的で、
位階や布などを与えたり、宴を催したりしていました。
また、文献資料や水洗厠舎跡から検出した有鉤条虫卵の存在から
渤海(ぼっかい)など外国からの使節を迎えての儀式も行われていたと考えられます。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]
政庁第2期 (770年~800年前後)

秋田城跡。[秋田市]
政庁第3期 (800年前後~830年頃)


秋田城跡。[秋田市]

===
城内東西大路
この道路は、政庁から外郭東門に至り、外郭外側までほぼ真っすぐに延びていました。
ここが道路だと分かったのは、固く締まった道路面や、
東西方向の素掘りの溝である側溝などが発掘調査で検出されたからです。
その発掘調査から、6時期の変還があったと考えられる道路幅は、
奈良時代には12m、平安時代には9mありました。
今回復元対象とした道路は奈良時代のものです。

また奈良時代の道路周辺からは、外郭東門周辺部と同様に
周囲に遺構が認められないことから、周辺の利用に関しては
建物を建てることができないなどの制約があったと考えられます。
なお平安時代以降については、政庁にほど近い道路北側が、
恒常的に鍛冶等の生産施設として利用されていたことが、発掘調査から分かっています。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]

===
外郭東門
平成元年度の発掘調査で発見された奈良時代の外郭東門を復元したものです。
秋田城の東門の特徴は、軒先につく軒瓦がないこと、
部材をつなぐところに舟肘木を使用していることです。
木材の仕上げは槍の穂先のような鉇(やりがんな)という古代と同じ工具で削り、
また、表面は丹土を塗っています。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]

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東大路
秋田城の外から東門を通り、政庁に向かう重要な道路です。
素通りの側溝の跡が発見されていますが、それから推定すると道路幅が12mで、
今の道路と比べても立派なものです。
ただ、敷石などが発見されていないので土の道路だったと考えられます。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]

===
外郭築地
門の横に続いている土壁は築地とよばれています。
土を人の手でつき固めながら積み上げる版築という古代と同じ工法で造られています。
復元した築地の端は途中で切れていますが、
実際はずっと続いていて秋田城の回りを囲んでいました。
また、築地の手前にある深さ7mの土取り穴は、築地を積む土を取ったときにできた穴で、
後にゴミ捨て場として使われ、発掘時には多数の漆紙文書、
木簡それに猪、馬、鯨、鳥、などの骨が発掘されました。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]

渤海から来たゲストが使ったと言われる
「古代水洗トイレ」。


秋田城跡。[秋田市]

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井戸跡
この井戸は、加工した厚い杉材を円形に組合せて造られています。
中から「天平六年月」と書かれた木簡が発見されており、
出羽柵が高清水の岡に遷された奈良時代の天平5年(733)頃に作られたものと考えられます。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]

「建物跡」。


秋田城跡。[秋田市]

===
井戸
覆屋の中の井戸は、平安時代に作られたものです。
構造は、厚い板を3~4段井籠組にし、
その外側に板を縦に2~3重に立て並べた簡単なものです。
板材には、井戸と関係のない切り込みがあることから
再利用の材料であることがわかります。
周辺の地形は、平安時代も現在と大きな変化がないことから、
当時から浅い井戸だったと思われます。
また水は古代から涸れることなく今もこんこんと湧きでています。
云々。。。


秋田城跡。[秋田市]

う~ん、


秋田城跡。[秋田市]

良かった!

大昔、大和朝廷が日本を統一する過程で造った前線基地。
まだいろいろな国があった頃の日本ですねー。
解明されていないこともあるみたいだけれど、
そこがまた歴史のロマンをくすぐりますねー。

また来よう、
また来てみたい、秋田城。。。
良かった~☆



以前の記事はこちらから。
秋田城跡歴史資料館。[秋田市]
以前の城柵はこちらから。
城輪柵跡 kinowasaku-ato。 [酒田市]
磐船柵跡の碑と、饅頭岩。  村上市★磐船招魂社

【秋田城跡】
@秋田県秋田市寺内焼山
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