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人吉城跡。[熊本県人吉市]

前回に続いて「人吉城跡」です。
石垣(東)を背にして、相良護国神社のある御館方面(西)を見る。

広~いです。


人吉城跡。[熊本県人吉市]

人吉城跡。[熊本県人吉市]

所々残っている石垣からは、
巨大な要塞があったのだろうと想像できます。


人吉城跡。[熊本県人吉市]

こちらは「於津賀(おつが)社跡」。


=== 案内板より ===
於津賀社跡
初代相良長頼の入国前の人吉城主であった平氏の代官の
矢瀬主馬祐(やぜしゅめのすけ)を祀る霊社跡である。
第2代頼親が建立し、初めの頃御墓(塚)大明神という。
文明16年(1484)に再興され、元和年中(1620年頃)に於津賀と改め、
寛永7年(1630)に造替された。
社殿は南向きで、板葺きの御殿(神殿)と添殿(拝殿)の2棟があり、
現在その礎石が残っている。
云々。。。


人吉城跡。[熊本県人吉市]

すぐ側を流れる球磨川。


人吉城跡。[熊本県人吉市]

=== 案内板より ===
史跡 人吉城跡
人吉城は、もともと平氏の代官がいた城でしたが、遠江国(静岡県中部)
相良の出身で人吉荘の地頭となった相良長頼が、建久9年(1198)に城主となり、
翌年より修築したと伝えられています。
その修築の時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城
あるいは繊月城とも言います。

人吉城が史料に初めて出るのは、大永4年(1524)のことです。
この頃(室町時代)の人吉城は、原城と呼ばれる城跡東南の台地上にあった山城で、
素掘りの空堀や堀切によって守られていた城でした。


人吉城跡。[熊本県人吉市]

室町時代に球磨郡を統一した相良氏は、やがて芦北・八代・薩摩方面へと
領土の拡大を図り、戦国大名として発展します。
しかし天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州征服により、
球磨郡のみを支配することになり、以後は石高22165石の人吉藩として
明治4年(1871)の廃藩置県まで存続しました。

人吉城が石垣造りの近世城として整備されるのは天正17年(1589)からで、
何度か中断をしながらも、51年後の寛永16年(1639)に現在見られる石垣が
完成しています。


人吉城跡。[熊本県人吉市]
「三の丸」。

球磨川と胸川を天然の堀とした人吉城は、
本丸・二の丸・三の丸・総曲輪からなる平山城です。
大手門・水の手門・原城門・岩下門によって区切られる城の周囲は、
2200メートルもあり、広大です。
本丸には天守閣は建てられずに二階建の護摩堂が建てられ、
二の丸と三の丸の西側麓には城主の屋敷がありました。
城の周辺の総曲輪は、上級武士の屋敷となり、
川岸近くには役所や倉庫が置かれました。

水の手門近くの『武者返し』と呼ばれる石垣は、
幕末に導入された欧州の築城技術である
槹出(はねだし)工法で築かれたものとして有名です。


人吉城跡。[熊本県人吉市]

城内の建築物は、廃藩置県の後に取りこわされて残っていませんが、
保存の良い石垣が人吉城の姿を今に伝えています。
云々。。。


つづく。。。



以前の記事はこちらから。
大井戸遺構と相良護国神社。[人吉市*人吉城跡]

【人吉城跡】
@熊本県人吉市麓町

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