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尾曳稲荷神社。[館林市]

=== 案内より ===
尾曳稲荷神社と館林城(尾曳城)の由来


尾曳稲荷神社。[館林市]

今は、昔。
(今となっては昔のことですが)
大袋城(おおぶくろじょう・城沼南岸)の城主、
赤井照光という殿様がいました。


尾曳稲荷神社。[館林市]

お正月のお祝いに出かけようと、
少しばかりのお供をつれて、近藤林にさしかかったときです。


尾曳稲荷神社。[館林市]

8、9歳の子どもたちが、
狐の子を捕らえていじめていました。


尾曳稲荷神社。[館林市]

あわれに思った照光は、
子どもたちを諭し、銭(=お金)を与えました。


尾曳稲荷神社。[館林市]

「二度と捕まるでないぞ」と、
狐の子を放してやりました。


尾曳稲荷神社。[館林市]

その夜、
「我は稲荷の大神の眷属(=神様のお使い)、新左衛門なるぞ。
今朝、我が子狐を助けてくれた恩は忘れぬ。
御身(=あなた)の居城より沼の北岸館林は要害の地なり。
速やかに移らせ給え(=お移りなさい)。」

しかし、照光は決心がつきませんでした。


尾曳稲荷神社。[館林市]

その年の七夕の日、照光は家来を呼んで言いました。
「今宵稲荷の大神のお告げがある。
しかと承って参れ(=しっかりと聞いてきなさい)。」


尾曳稲荷神社。[館林市]

その夜再び現れた新左衛門は、
「今宵は、幸い月が明るい、築城の案内をしましょう。」
と言いました。


尾曳稲荷神社。[館林市]

すると、白い狐が現れて先にたった。
後に続くと、ここが本丸、そこに二の丸、あちらは三の丸と
きながら案内した。


尾曳稲荷神社。[館林市]

これは「初曳稲荷」です。
谷越町(現在の本町3丁目)にあります。

初曳は読んで字の通り、尾のめ。

昔、この一帯を「待辺(しべ)」と呼んでいたので、
「待辺の稲荷」とも言います。


尾曳稲荷神社。[館林市]

加法師の原野にいたると、
「私の主人の稲荷の神は、お城ができたら城下にとどまり、
お守りしようとお思いですので、速やかにお祀(=祭)りして下さい。」
と言って、かき消すように姿を消した。


尾曳稲荷神社。[館林市]

ふと気づくと、夜が明けていました


尾曳稲荷神社。[館林市]

これは「夜明稲荷」です。
加法師町(現在朝日町)にあります。
お使いが別れを告げたといわれるところで、
ここでけたといわれています。


尾曳稲荷神社。[館林市]

照光は、不思議なことだと思って、お告げの通り城を築きました。
後に関東の名城と言われた尾曳城(=館林城)は、
こうしてできたと伝えられています。


尾曳稲荷神社。[館林市]

築城後、照光は
城の本丸の鬼門(北東)にあたるところに、神社を建てました。

これが尾曳稲荷神社です。
云々。。。


尾曳神社の神職の方が書かれた「尾曳稲荷神社と館林城の由来」ですが、
とても興味深い言い伝えです。
赤井照光さんの夢枕に立った稲荷の神様のお使い新左衛門さん。

さっそくググってみると、
島根県松江の普門院というお寺さんには「新左衛門稲荷さんのお話」が
伝わっているそうで、また、相模原の「新左衛門稲荷神社」の由緒には、
曽呂利新左衛門さんが天下泰平、五穀豊穣を願い、全国各地に
稲荷神社を建立した、とあります。

稲荷神社さんつながりで、何か関係があるのかな?
と思ってしまう今日この頃であります。。。



以前の記事はこちらから。
尾曳稲荷神社。[館林市]

【尾曳稲荷神社】
@群馬県館林市尾曳町

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