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正法寺。[太田市]

前回に続いて「脇屋山 正法寺」であります。
in 太田市。

正面「本堂」。
左手に脇屋義助さんの像があります。
若々しくも凛々しいお顔立ちです。


正法寺。[太田市]

=== 案内碑より ===
脇屋義助公
清和源氏新田義貞の弟 脇屋に分家して脇屋氏を称す
元弘3年5月 新田一族の評議に鎌倉進撃を提唱
北条氏を亡ぼして鎌倉幕府を倒す
建武政権に武者所頭人 駿河守となる

建武2年足利尊氏反旗をひるかえすや 義貞の副将として箱根竹の下に戦う
京都に尊氏を迎えうち 九州に敗走させる
建武3年東上する尊氏の大軍と兵庫に戦い生田の森に敗れて京都に引く
しばしば尊氏軍と戦って利あらず
大将義貞とともに越前金ヶ崎城に寄る 瓜生氏の杣山城に移り
勢力をもりかえして国府城を攻め 越前守護の斯波高経を敗走させた
延元3年閏7月義貞が戦士すると 代わって北国を経営したが
敗れて美濃・尾張をへて吉野朝に至る
後村上天皇の命により四国・西国の総大将として興国3年四国に上陸
同年5月伊予の国府城で病没す
安養寺板碑には享年42とある

病床に侍した児島高徳が遺髪と法号を故郷の寺に届ける
以来脇屋山正法寺と号す

南朝総大将義貞の副将として活躍 その後義貞に代って総大将となり
忠節を貫く
各地の戦陣に散った新田一族とともに 名声を晩世に挙げた武将であった
兄義貞公とともに 清和源氏新田氏の名声を天下にとどろかした
公の偉業を顕彰して 永く後世に伝えたいと念願す
云々。。。


正法寺。[太田市]

そして本堂の裏には
脇屋さんの「遺髪塚」があります。
児島高徳さんが届けた義助さんの遺髪が供養されていると伝えられます。


正法寺。[太田市]

こちらが当時のものなのでしょうか?
時代を感じさせる傷みがあります。


正法寺。[太田市]

左が新しい供養塔かな?


=== 別の案内碑より ===
脇屋義助公
興国3年(1342)春脇屋刑部卿義助公第97代後村上天皇の勅令を奉じ
伊予国に下向され国司藤原有資守護大館左馬助氏明等と協力して
四国一円の官軍を紏合せんとしたが惜しい哉間もなく公は病に罹り
5月11日伊豫の国府に於て薨去せられた。
国分寺第14世智円上人霊号を正法寺殿渓山宗栄大居士と諡し
遺髪を併せて是におくる。
爾後当寺を脇屋山正法寺と号す
云々。。。


正法寺。[太田市]

遺髪塚の横には、以前、正法寺があったと云われる
観音免から出土した「層塔」が移築されています。
昭和23年4月、観音免より出土、とありました。


正法寺。[太田市]

生品神社で挙兵した新田軍。
倒幕、その後、南北朝時代をむかえ、
尚も各地で転戦を続けた新田義貞さんと義助さん。

兄弟は、二度と新田の地に帰ることなく、
時代は替わって行きます。
なんだか切ない話だなぁ。。。


===
義助公石像建立記念より

故郷は いづこなるぞと 夕ぐれて
雪ふり積る 国ぞ寒けき



以前の記事はこちらから。
正法寺。[太田市]

【正法寺】
@群馬県太田市脇屋町

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