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物見の松とあかがね街道。[太田市]

打倒、鎌倉幕府!
新田義貞さん挙兵にまつわる、
「松」つながり第3弾、「物見の松」です。

新田荘歴史資料館の近くにあります「薬師公園」にやって参りました。


=== 案内板より ===
物見の松とあかがね街道
足尾山中で産出された銅は、元禄年間(1688~1704)に、その船積地が
下流の前島河岸に移されるまでは平塚河岸で積荷され、利根川を
江戸まで運ばれていた。足尾から平塚河岸までおよそ15里(60キロメートル)
の道を、あかがね街道と言いここを通っていた、銅の荷送りのほか、
さまざまな産物や人馬の往来で賑わった。


物見の松とあかがね街道。[太田市]

昔の早川はかなり蛇行しており、薬師橋も現在点より少し下流に架けられて
いた。橋のたもと左岸には薬師堂があり、この付近の地名を薬師と呼んだ。
薬師は東方瑠璃光世界の教主とされ、12の大誓願を発し、人々の病苦を救ったり、
防疫、厄除けの仏でもある。
平安時代初期の頃から明治に至る長い間、本地垂迹説が説かれ、
異国の仏が日本に渡って神として現れたと考えられ、神も仏も同体であり、
八坂神社や東照宮の祭神もその本地は薬師であると信じられていた。


物見の松とあかがね街道。[太田市]

薬師堂のかたわらに松の大木があり、物見の松として伝えられ、
その枝は早川の水面まで垂れ下がっていたので、下り松とも呼ばれ、
世良田12景の一つに数えられていた。
元弘の昔、新田義貞が鎌倉攻めにあたり、
この松に登って国境の敵情をうかがったとの話が残されている。
惜しいことに明治の中頃、空洞に棲息する大蛇を退治するために火を放ったところ、
松は枯れてしまったという。
云々。。。


お地蔵さまの横に松の木がありました。
近い将来、〝物見の松〟の何代目かを襲名するのかな?
そして案内板の前を通る道が、あかがね街道です。
公園を過ぎるとすぐそこが薬師橋であります。。。



以前の記事はこちらから。
義貞 駒つなぎの松。[太田市]

【薬師公園】
@群馬県太田市世良田町

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