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楠神社。[佐賀県佐賀市]

龍造寺八幡宮と同じ敷地内にある「楠神社」です。
楠正成公を祀った神社さんの中では、
一番最初なのだそうです。


楠神社。[佐賀県佐賀市]

=== 案内板より ===
本邦創祀 楠神社
御祭神 正一位 楠正成命
御祭神 従二位 楠正行命
例祭 5月25日
~今もなほ 天津日嗣の御世ぞかし 守らせ給へ 楠の神~種臣
寛文3年(1663)佐賀藩の国学者 深江信渓大木英鉄等が
京都の仏師法橋宗南に托して楠公父子桜井駅訣別の像を作成し、
佐賀郡北原村の永明寺に安置したのに始まる。


楠神社。[佐賀県佐賀市]

降つて嘉永3年(1850)楠公義祭同盟が結成され、
安政元年(1854)地を龍造寺八幡宮境内に移して楠神社を建立し
この尊像を御神体として奉祀し毎年義祭を盛大に行った。

明治維新の元勲として国事に盡瘁した佐賀藩の大先輩
江藤新平、副島種臣、大隈重信等はことごとくこの同盟に加わり
後年世に出て名をなした。
云々。。。


楠神社。[佐賀県佐賀市]

「拝殿」です。
中には、楠正成さんと御子息の正行さんの像が安置されています。
〝桜井の別れ〟のシーンですね。


楠神社。[佐賀県佐賀市]

「本殿」と、


楠神社。[佐賀県佐賀市]

「義祭同盟」と「非理法権天」の石碑。


=== もう1つの案内より ===
本邦創祀 正一位 楠神社由緒沿革
楠神社は安政3年(1851年)佐賀藩の執政鍋島安房が造営した。
楠公父子櫻井の駅訣別の像が祀ってある。
この木造は寛文2年(1662年)佐賀藩士、深江平兵衛入道信渓、
大木英鐵等が京都の佛師法橋宗而に製作を依頼して、
同3年佐賀郡大和町永明寺に小堂を建てて祀った。

それから180年後佐賀藩校、弘道館教授枝吉陽等が古文書によって
楠公父子像を発見、嘉永3年義祭同盟を組織し信渓の裔深江俊介種禄を盟主として
髙伝寺の末寺梅林庵において盛大なる祭典を行った。
これが義祭同盟の起りであり、佐賀勤王論の始まりである。
開明的な十代藩主直正(閑叟公)は義祭同盟を支持、執政安房は自ら盟主となり、
安政元年5月25日新装の社殿で盛大な義祭を執行した。

同盟に参加したのは江藤新平(のち司法卿)大木喬任(のち文部卿)
副島種臣(外務卿)島義男(秋田県令)ら郷土が生んだ明治維新の元勲として
國事に盡瘁した佐賀藩の功臣は悉く此の義祭同盟に参加した。
大隈重信(総理大臣)17歳、久米邦武(東大名誉教授)16歳は、
この時最年少者として初めて参加、この境内で日本一君論を論じ合った。
大隈は「この同盟の中から後年政界に立って頭角を現した人も多い、
予がこれに加盟したのは、世に出て志を立てるきっかけになったと言ってもよい」
と回顧している。

こうして楠公父子の神霊に育まれて明治維新の志士たちが生まれた。
この楠公父子の像が佐賀に祀られたのは、かの有名な水戸光圀が建てた
湊川建碑「嗚呼忠臣楠子墓」(神戸市湊川神社境内)に先立つこと29年
実に我が国初の楠公を祀った神社である。

非理法権天(ひろほうけんてん) 楠正成がその旗に印せし文字
非は理に勝つこと能わず、理は法に勝つこと能わず、
法は権に勝つこと能わず、権は天に勝つこと能わず、
天は宏大にして私無しと云う語にもとずく。
云々。。。


う~ん、深いですっ。
歴史を語る神社さん。。。

また来よう、
また来てみたい、楠神社。。。



以前の楠木神社はこちらから。
楠木神社 #館林市
以前の記事はこちらから。
龍造寺八幡宮。[佐賀県佐賀市]

【楠神社】
@佐賀県佐賀市白山1丁目

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