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久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

佐賀県唐津市です。
邪馬台国や末廬国の匂いが漂ってきそうな、
そんな歴史ロマンあふれる古墳。。。
そう、この古墳こそが「久里双水古墳」なのですっ!


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

ちょっと大げさカナ(汗、、、

久里双水と書いて〝くりそうずい〟と読みます。
日本の前方後円墳の最初ではないかと云われている古墳です。

史跡公園として整備されているので、広々としています★
先ずは1つ目の案内板~♪


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市] 久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]
(写真はクリックで大きくなります。)

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双水迫古墳群(そうずいさここふんぐん)
双水迫古墳群は、久里双水古墳前方後円墳につづく南東丘陵に位置する方形、
円型の5基の周溝墓群です。墳形は10メートルから12メートルの規模で、
幅0.4メートルから1.2メートルの周溝をもっています。
~中略~
副葬品は1号墳が鉄剣1、刀子1、3号墳が刀子2で、2号墳の周溝からは土師器が
検出されました。また5号墳には、良好な保存状態の人骨1体(男)が
埋葬されていました。4世紀後半から5世紀ごろにかけてつくられた古墳群で、
久里双水古墳の築造につづく人々の墳墓と考えられます。
こちらには5号墳の石棺を移設して展示しています。
云々。。。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

発見当時の久里双水古墳

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発見
久里双水古墳は、唐津市双水字サコ2776-1番地にあり、
昭和56年4月に労働者住宅生活協同組合の宅地造成事業に伴い、
前方後円墳であることが確認されました。大型の前方後円墳なので
保存されることになり、造成工事や県道の範囲から外されることになりました。
昭和63年1月に市の史跡に指定され、平成元年3月に公有化を実現しました。
同年8月に地下レーダー探査による遺構保存状態の調査を行い、
平成3年度から3年間、古墳前方部、古墳後円部、古墳墳頂部の
範囲確認調査を実施しました。
云々。。。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

石室を覆う3枚の天井石

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調査
この確認調査によって、全長108.5m、後円部62.2m、前方部幅42.8mで、
墳丘築成は後円部と前方部下半部が地山掘りだしで、前方部上半部が
盛土の自然地形を利用した特異なものであり、しかも年代が4世紀前半まで
さかのぼる可能性があることがわかりました。
平成5年度の確認調査により、後円部墳頂に隅丸長方形の粘土でおおわれた
石室が発見されました。
平成6年の調査は、遺存状態をファイバースコープによって確認し、
粘土被覆された竪穴式石室を調査しました。
云々。。。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

発見された後円部石室

久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市] 久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

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石室
粘土に覆われた石室は、砂岩製の天井石3枚で密閉されていました。
内径は、長さ約2.5m、幅0.9m、高さ1.0mの竪穴式石室でした。
床面には、両端が反り上がった特異な形の、断面がU字型の粘土床が
見つかりました。石室は、砂岩や玄武岩の板石を、粘土と交互に積み上げたもので、
壁や天井石の裏には一面に赤色顔料が塗られていました。
粘土床から、前方後円墳では例のない、
舟形木棺であった可能性も指摘されています。
云々。。。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

久里双水古墳から出土した遺物

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副葬品
石室から鏡1、碧玉製で長さ7mm~9mmの管玉2と、石室上端の天井石の間から
刀子1が見つかりました。
鏡は後漢の「盤龍鏡」で、粘土床の埋葬頭位側にあたる部分から出土しました。

径12.1cm、縁の厚さ1.2cmで、龍と虎が向かい合う文様が描かれています。
縁は鋸歯文様が2列並ぶ平縁になっていて、乳(珠文)と呼ばれる小さい突起や
「子」の銘も認められました。
刀子は、長さ7.0cm、幅1.3cmの小型のもので、発見位置から埋葬にかかわる
祭祀にもちいられたものと考えられます。
唐津は、弥生時代より中国大陸の門戸でした。
「盤龍鏡」は、末盧国が最後に直接入手した文物と考えられます。
この盤龍鏡からも、被葬者の姿がみえてくるようです。
云々。。。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

案内板で勉強した後は、
いよいよ古墳に登頂でありますっ。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

古墳の周囲を巡るように、ちゃんと見学路があります♪
前方部、向かって右からレッツgo。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

こんもり、デス。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市] 久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市] 久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

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双水迫経塚(そうずいさこきょうづか)
経塚は、久里双水古墳の後円部にある古墳時代の石室の真上に築かれていました。
その造りは、二重に巡らした方形の石列の中心に小石室を造り(左)、
内部に滑石製の外筒(中)に入れられた青銅製の経筒(右)を納め、周りには
木炭がつめ込まれていました。

久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

滑石製の外筒に入れられた経筒、外側に巡らされた二重の石列の発見例は
極めて稀です。また、つくられた年代は平安時代後期(11世紀末)と、九州でも
最古式の経塚と考えられています。

このように、久里双水古墳では、古墳のほかにも学術上大変重要なものが
発見されています。
云々。。。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

後円部の裾より、前方部を見る。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

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双水柴山古墳群
久里双水古墳の南側450メートルで、西向きにのびる丘陵に位置し、
丘陵の下位より上に向かって2号、3号、1号の順に造られています。
2号墳が古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳、3号墳が同前・中期の方墳、
1号墳が同中期の前方後円墳もしくは円墳・方墳で、それぞれ30メートル級の
規模をもっています。

古墳の主体構造は、2号墳が割竹木棺、3号墳が箱式石棺、1号墳が横穴式石室と
箱式石棺でバラエティに富んでいます。埋葬人骨は、3号墳に男・女の2体、
1号墳に男2・女1の3体がそれぞれ遺存していました。
双水柴山古墳群は、墳形、主体部が変化に富んだ内容をもつもので、
古墳時代成立時期の唐津・東松浦地方を考える上で重要です。
云々。。。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

くびれの辺りだったかな、ここ。


久里双水古墳。kurisouzui-kofun [佐賀県唐津市]

そして、振り返って、見るっ!

深いっ、深いですっ。
もっともっと知りたくなる、興味シンシンの古墳。。。
唐津市にある「久里双水古墳」ですっ。
来て見れてヨカッタぁ~★



以前の記事はこちらから。
菜畑遺跡 nabatake-iseki。[佐賀県唐津市]
以前の古墳はこちらから。
行基平山頂古墳と機神山山頂古墳。[足利市]

【久里双水古墳】
@佐賀県唐津市双水

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