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菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]

来たっ、ついに来たっ、
日本最古の稲作発祥の地へ!!
佐賀県唐津市にある「菜畑遺跡」ですっ!


=== 案内板より ===
国史跡 菜畑遺跡
この地は、昭和56年に発見された「菜畑遺跡」の史跡公園です。
「菜畑遺跡」では、約2600年前、日本で最初に稲作が開始されたことを示す、
水田、農耕具、炭化米が発見されました。
公園内には、展示館(末盧館)、復元水田等が設置されています。
本遺跡は日本文化の成立を考える上でも重要な遺跡です。
この日本の稲作の発祥の地「菜畑」を大切に守って行きましょう。
云々。。。


菜畑遺跡。[佐賀県唐津市] 菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]
(写真はクリックで大きくなります。)

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末盧館(まつろかん)
日本古代の高床倉庫をイメージして造った建物で、
木造建築の良さを取り入れています。内部は展示室・収蔵庫などからなり、
日本稲作発祥の地-菜畑遺跡-の出土品を展示している歴史博物館です。
云々。。。


菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]

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竪穴住居
菜畑遺跡で発掘調査された住居跡をもとに復原したものです(縄文時代晩期)。
唐津周辺に特徴的な円形型で、弥生中期のものに比べると
やや小型の住居です。

菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]

6本柱で中央に炉跡があり、特徴として
屋根を地にふせたようなカヤ葺の建物です。
云々。。。


菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]

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支石墓
この支石墓は市内宇木の宇木汲田(くんでん)遺跡で
昭和40年11月に発見されたものをこの地に移したものです。
支石墓は、今から約2600年前の縄文時代晩期から弥生時代後期にかけて
つくられたもので、掌石(上石)が長さ3.07m、幅1.04m、厚さ0.39m、
重さ約3.0トンもある大きなものです。
墓の内部は土壙墓(土葬)と考えられます。
云々。。。


菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]

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水田
菜畑遺跡で発見された日本最古の水田は小規模(10㎡~40㎡平均で20~30㎡程度)
なもので、谷にそって細長く広がった谷水田と考えられています。
深い湿田で土盛の畔と水路が掘られおそらく赤米がみのっていたことでしょう。
云々。。。


菜畑遺跡。[佐賀県唐津市]

=== リーフレットより ===
末盧館(まつろかん)の名の由来
中国の三国時代の史書、魏志倭人伝の中に有名な卑弥呼のいる
邪馬台国へ至る「クニ」の一つとして、「末盧国」という記述が出てまいります。
これが、現在の唐津市周辺に古来大陸との交流をもとに栄えた「クニ」であり、
それが中国の王朝にも知られていたということです。
市ではこの「末盧国」の名を広く知っていただくために「末盧館」という
名称を選定いたしました。
云々。。。


===
菜畑遺跡
菜畑では今から2500~2600年前の縄文時代晩期に、大陸から伝えられた稲作を
日本で初めて行いました。
遺跡からは、これを証明する多数の炭化した米、稲穂をつみとる石包丁・
木のクワ・エブリなどとともに小区画(20~30㎡)の水田跡も発見されました。
また、水稲だけではなく、アワ・ソバ・ダイズ・ムギなどの五穀をはじめ、
メロン・ゴボウ・クリ・モモなどの果実・根菜も栽培していました。
家畜としてのブタ(イノシシ)も飼育していたのではないかと考えられ、
菜畑は文字どおり「日本農業の原点」であることを証明しました。
云々。。。


昔の教科書には、弥生時代に稲作が伝えられた、と
書かれていたような気がするけど、今はどうなんだろう?
お米、野菜や果物、家畜まで飼っていたんぢゃ、
今とあまり変わらないよーな気も。。。

次々に発見される新しい歴史ですっ。
う~ん、深いっ!



以前の縄文遺跡はこちらから。
一峯貝塚。[邑楽郡板倉町]
以前の唐津市はこちらから。
名護屋城跡。その4 [佐賀県]

【菜畑遺跡】
@佐賀県唐津市菜畑
「末盧館」開館時間/9:00~17:00
休館日/月曜日、年末年始
入館料/一般・200円、小中学生・100円

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