ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2017/031234567891011121314151617181920212223242526272829302017/05

名護屋城跡。その2 [佐賀県]

前回からの続きであります。
唐津市にある「名護屋城跡」。国の特別史跡です。

こちらは、二ノ丸から三ノ丸へ続くエリアです。


=== 案内より ===
馬場
馬場の概要
本丸の南側にあたり、本丸との比高差は12mあり、築城時の高石垣が
良く残っています。長さ100m、幅15mと細長く、また、ここで乗馬の訓練をしたとも
伝えられ、二ノ丸から三ノ丸に至る重要な通路と考えられます。
南側の石垣は櫓に通じる石段も残り、築城時の様子と崩壊した状況を
同時に観察することができます。しかし、樹木の繁茂や築城400年経過し、
一部石垣が崩壊する危険性が高まったので、平成3年度(1991)に緊急修理を
実施しました。石垣の上部は解体修理、下部については石垣の基礎部分を
補強しました。
云々。。。


名護屋城跡。その2 [佐賀県]

名護屋城跡。その2 [佐賀県]

===
馬場櫓台
この櫓台は本城の櫓配置の中でも特異な例であり、なぜか馬場の通路途中に
設けられています。平成7年度に解体修理を実施しましたが、石材として、
鏡石状の大石だけに野面石、その他には割石を用いてる点や、
割石の裏側に石割りの失敗や作業を中止した痕跡を残す点に他と異なる特徴が
あります。また、櫓台内部をすべて栗石で造り上げていることも判明していますが、
その中には大型石材の混入も複数ありました。
云々。。。


名護屋城跡。その2 [佐賀県]

馬場櫓台から眺めた、周り(城内)の風景。


名護屋城跡。その2 [佐賀県]

===
三ノ丸櫓台
この櫓台は、名護屋城で最大規模を誇り、その西側正面には城内最大の鏡石をも
用いて、石垣を築いています。平成6年度の解体修理では、栗石の一部に
大型石材を使用していることや、石材を一尺(約30cm)単位の規格で割ろうとした
矢穴跡を確認しています。その石垣の裏からは宝篋印塔の一部も見つかっています。
また馬場と三ノ丸を区画する位置(櫓台北側)では、門礎石と、その下層に
これより古い時期の石垣を発見しています。
云々。。。


名護屋城跡。その2 [佐賀県]

名護屋城跡。[佐賀県]

===
三ノ丸
三ノ丸の概要
本丸より一段低いところに位置する東西34間(68m)、南北62間(124m)の曲輪です。
現況では玉砂利敷や礎石と考えられる石が認められます。
また、城内の高台では唯一の井戸跡が残っています。肥前名護屋城図屏風には
殿舎や公家風の人物が描かれ、当時の三ノ丸の様子が窺えます。
大手口から本丸に通じる重要な曲輪で、本丸周辺を警護する侍が詰めていた場所と
考えられます。平成3年度(1991)に砕石を補充し仮園路の整備をしました。
云々。。。


名護屋城跡。その2 [佐賀県]

===
三ノ丸井戸跡
名護屋城内では当時のものと考えられる井戸が各所で発見されていますが、
三ノ丸の井戸はその中でも最も高所(標高76m)にあります。 現在の深さは
地面から2m程ですが、後の時代に埋められているため、当時どの程度の
深さであったかは不明です。三ノ丸はそのほぼ全域が盛土であるため、
湧水の深さまで掘っているとすれば、かなり深いものと推定されます。


名護屋城跡。その2 [佐賀県]

井戸は自然の割石を積み上げた石組みで造られていますが、その平面形は
南北1.9m、東西1.3mの楕円形をなしており、名護屋城や陣跡で発見された
その他の井戸では見られない特徴です。また石組みに崩壊の危険性があったため
南西側の一部を解体修理したところ、井戸の石材は表に見えている大きさよりも
2倍から3倍の奥行きがあり、さらに奥に向かって石尻を下げることで崩れにくく
造られていました。
井戸は城にとって水の確保のために重要なものであり、城内では
江戸時代以降のものも含め、多くの井戸がみられます。現在、その分布は
城域の南東側(三ノ丸・大手口)、北東側(山里丸)、北側(水手曲輪・台所丸周辺)に
限られますが、江戸時代後期の絵図では西側の二ノ丸にも井戸が描かれています。
云々。。。


ちょこっと小休止。
そして、
つづく。。。



以前の記事はこちらから。
名護屋城跡。[佐賀県]

【名護屋城跡】
@佐賀県唐津市鎮西町名護屋

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する