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浅沼八幡宮。[佐野市]

阿曽沼城跡」。
in 佐野市。

拝殿の脇に、その痕跡を語る「石碑」が建てられています。


=== 石碑より ===
阿曽沼城址略史
今ひらけゆく浅沼のあたり むかし佐野庄阿曽沼郷の地
火山灰洪積地のはて 黒々とした沈黙をたたえる水面を
おしどりの遊ぶ 安蘇の沼のほとりであった

鎌倉に源氏の幕府はじめられようとする12世紀末 阿曽沼城は
阿曽沼民部四朗広綱によってこの地に築かれ 以来400年
戦国のおたけび山野を駆けるさなかまて 城の盛衰は
阿曽沼氏歴代とともにあり
その衰歓は 浅沼の地と人とともにあった


浅沼八幡宮。[佐野市]

始祖広綱は秀郷流藤原氏にして唐沢山城佐野氏の同族
およそ寿永のころ城館をこの地に構え 八幡宮を創建
地名をもって氏とし 阿曽沼 浅沼系諸氏の一祖となる
公の名の初めて史書に現れること 寿永2年2月 小山朝政の誚によって
同族とともに志田三郎義広と合戦 下総古河のわたり
小手差ヶ原の大利根堤にこれを破る
これよりのち長子朝綱 次子親綱にいたる3代の間 寿永の源平争乱には
平氏を追って遠く九州豊後に赴き 
文治5年 平泉藤原氏を討っては東北の野を駆け あるいは承久の乱に
尾張摩△戸の渡りを先陣 また幕府営中にあっては 常に将軍の近くに座し
譜第の名門 一芸の達者 容儀神妙のほまれを受く

地頭職としてのその治める地は阿曽沼郷本貫領のほか 陸奥遠野保 
安芸世能庄 備中諸郷村の散在領をあわせ 城館は本城の辺に
大栗 畳岡 鐙塚の諸城を配し さらに遠野横田城
世能鳥籠城の遠隔経営に及ぶ
城建ってよりここにおよそ800年
云々。。。


浅沼八幡宮。[佐野市]

八幡宮神社の裏に、
当時の濠の跡が残っていました。


=== 別の案内板より ===
阿曽沼城跡鴛鴦塚碑
この地はおよそ800年前に阿曽沼民部大輔広綱によって築かれ
戦国末に廃城となるまでの400年間阿曽沼城のあった所である。

鎌倉幕府の有力な武将阿曽沼(浅沼)氏は、この城によって本拠地阿曽沼郷をはじめ、
軍功によって賜わった遠野(岩手県遠野市一帯)、世能(広島県の一部)、
飯田(長野県飯田市)その他の所領を統治した。

城は鎌倉時代の他の城と同じく周囲に濠をめぐらし土塁と防柵に囲まれた
典型的な方形平城で、約4600平方メートルの広さであった。
社殿向かって左手のおしどり塚歌碑は鎌倉時代の弘安6年(1283年)に書かれた
沙石集の歌を書いたものである。
云々。。。


阿曽沼四郎広綱を祖とする阿曽沼氏。
各地に散らばる所領も多く、ずいぶん活躍した氏族のようです。
またこちらのお城には護良親王にまつわる伝承も残されていて、
非常に興味のあるところデス。
う~ん♪



以前の記事はこちらから。
浅沼八幡宮。[佐野市]
以前のお城はこちらから。
秋の沼田城跡。Vol.2 [沼田市]

【阿曽沼城跡】
@栃木県佐野市浅沼町

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