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=== 記念碑より ===
源姓足利氏発祥之地
八幡太郎源義家は11世紀後半の武将として夙に名高い。
義家は下野守、陸奥守を歴任しながら、東国を足場にして、
前九年・後三年の役という奥羽の2つの内乱を朝廷の命によるとはいえ、
ほとんど独力で鎮定させている。まさに偉業というべきであろう。

この義家を父に中宮亮藤原有綱の女を母として生まれた のが源義國である。

京都で生れ育った義國は久安6年(1150)のある日、 宮中に参内の途中、
偶然にも当時右大将(のちに右大臣)藤原実能の行列に出会い争いをおこし、
狼藉をしたという ことで、実能の従者らによって馬からうち落されてしまった。
これに怒った義國の郎徒が実能邸に押しかけ、邸を焼き払ってしまった。
この事件で義國は勅勘をこうむり、下野国足利の別業(私領)にひきこもってしまった。
この別業は父の義家から伝領された土地だったのであろう。

この別業ですごすこと数年、仁平4年(1154)、年老いて
死期の近いのを悟った義國は出家し荒加賀入道と号し、翌年に没した。
義國の足利在留はわずかな年月であ ったが、
これが足利氏・新田氏の成立の発端となったのである。
(以上、「近代足利市史」より抄出、一部加除)


平成28年〝初詣〟[足利市*下野國一社八幡宮]

この義國の下ってきた足利別業の地が一体、どこなのか。
古来、諸方面から論議されてきたが、下野國一社八幡宮付近を宛てる説があり、
かなりの可能性が高いといわれている。

時は流れ、義國の子の義康は足利氏の先祖として
後白河天皇方に味方して活躍をとげ源姓足利氏発展に大きく貢献 した。
その子義兼は鎌倉御家人として将軍源頼朝を補佐して鎌倉幕府誕生に尽力した。

そして、この義兼の後胤に尊氏が輩出し室町幕府を築きあげ
武家政治を推進したことは高く評価されなければならない。
茲に源姓足利氏の発祥地である下野國一社八幡宮の境内に記念碑を造立して
これを後世に永く伝えんとする次第で ある。
云々。。。



以前の記事はこちらから。
平成28年〝初詣〟[足利市*下野國一社八幡宮]
以前の義国さんはこちらから。
義国神社。[太田市]

【下野國一社八幡宮】
@栃木県足利市八幡町

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