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中野市・高梨氏館跡。

北からは上杉謙信さんに叩かれ、
南からは武田信玄さんにつつかれ、
当時この辺のエリアに構えていた武士たちは
さぞかし大変だったんじゃないかなー。。。

というわけでやって参りました「高梨氏館跡」。
戦国時代に活躍した武士・高梨氏の館跡です。


中野市・高梨氏館跡。

=== 案内板より ===
史跡 高梨氏館跡
高梨氏館跡は、東西約130m、南北約110mの規模で
四方に土塁と堀がめぐる、北信地方最大の中世の方形館跡です。

本館跡は、平安時代末期に始まる頼季(よりすえ)流信濃源氏の
有力武士団である高梨氏の築造によるものと推測されます。
高梨氏は、鎌倉時代から室町時代にかけて北信地方で勢力を拡大し、
室町時代後期までには中野地方を完全には支配下においたとみられ、
この勢力拡大の過程の中で、当地に本拠地を構えたものと考えられます。


中野市・高梨氏館跡。

室町時代末期、甲斐武田氏と越後上杉氏の抗争の中、
高梨氏はかねてから親交の深かった上杉氏を頼り、越後に一時退却するなどの
紆余曲折を経たのち、慶長3(1598)年に上杉氏が会津に移封されると、
共に会津へ移りました。
それに伴い館も廃館となったと考えられます。


中野市・高梨氏館跡。 中野市・高梨氏館跡。

昭和61年から平成4年にかけて実施された公園整備のための発掘調査では、
門跡1棟、磁石建物跡5棟、掘立柱建物跡7棟、庭園跡等が確認されました。
中世の方形館跡内で庭園遺構が確認されたのは、県内では唯一の事例です。
また土塁の断ち割り調査では、
土塁が少なくとも三段階の構築過程を経ていることが確認されました。


中野市・高梨氏館跡。

北信地方の武士団である高梨氏の中世の方形館跡で、庭園跡や三段階以上の
土塁の構築過程等が確認されたことは、中部地方の武士団の文化的レベルや
方形館の発掘過程を考えるうえで重要です。
云々。。。



中野市・高梨氏館跡。

===
土塁と築地塀
土塁を調査した結果、土塁の中に漆喰で固められた築地塀が埋もれていた。
このことから、土塁が造られる以前に、
築地塀が存在していたことが明らかになった。
このようなことは極めて希な例であり、
土塁で囲まれた居館の成立過程を知る貴重な資料となる。
云々。。。


中野市・高梨氏館跡。

===
高梨館跡公園庭園址について
庭園は都の寺院から貴族へ、さらに15世紀(室町時代)には
地方上級武士の社会にも普及する。
この頃から、従来の池泉式庭園(舟遊・廻遊式)に加えて、
枯山水式庭園も広まり始める。


中野市・高梨氏館跡。

中野市・高梨氏館跡。

この庭園は京都文化の摂取に熱心だった高梨氏が、氏の最盛期にあたる
16世紀(戦国時代)の初め頃に築庭されたものと考えられる。

池は館の最も重要な建物である会所(客殿)跡に面している。
池の東南部には大きな石を中心とする滝の石組があり、
庭の主体部を形成している。
池の護岸は大小の山石や川原石で固められている。
汀(みぎわ)には岬が少し突き出ており、池の中に岩島が見られる。
導水路・排水路の跡が残っているので、当初は池泉形式の庭園であったが、
のちに枯山水風に変えられたものと考えられている。


中野市・高梨氏館跡。

中野市・高梨氏館跡。

中世の庭園が確認される館跡は例が少なく、県内では初めてのことである。
高梨氏の文化的レベルの高さを示すとともに、地方武士の庭園のあり方を
示す好例である。
云々。。。


中野市・高梨氏館跡。

正面入り口にあった「関山桜の碑」。

===
関山桜
桜の花のように清く美しく成長することを願って
関山国師「無相大師」生誕の地に因み、
関山桜を区内の小学生と共に植樹する。
云々。。。


以前からチェックしていた場所だったので、
来れて良かったー★



以前の中野市はこちらから。
小内八幡神社 ouchi-hachimanjinja。[長野県中野市]

【高梨館跡】
@長野県中野市小舘4丁目

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