ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2017/081234567891011121314151617181920212223242526272829302017/10

風林火山の旗。

=== 案内板より ===
「風林火山」の旗
武田軍の軍旗であるこの旗は、別名「孫子」の旗ともいわれ、
もともと鮮麗な紺色の絹布に金泥で書いたもので、字句は兵法の聖典
「孫子」の一節で、武田氏の菩提寺恵林寺の禅僧快川招喜(かいせんしょうき)の
筆になるものである。

「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」

これは合戦にのぞみ、軍隊とはかくあるべきことを教えたもので、
孫子の研究者として戦国時代の最高峰といわれた信玄の軍隊運用術でもあった。

武田軍の軍旗としては、このほかに「南無諏方南宮法性上下大明神」の旗があり、
「風林火山」の旗と共に武田軍の象徴である。
云々。。。


逆エンジュ。

===
逆槐(さかさえんじゅ)
山本勘助等の進言にる「キツツキ戦法」の採用を決定した武田信玄は、
永禄4年(1561)9月9日夜、ここ八幡原に上杉軍挟撃の陣地を構えた際、
この場所に土塁を積みかさね、矢来を組み、盾をめぐらして本陣をおいた。
このとき土塁の土どめに自生の槐の杭を根を上にして打ち込んだのが芽を出し、
その後約400年を経てこの巨木に成長したものと伝えられる。


八幡原の土塁。 八幡原の土塁。

「境内に残る土塁」。

周囲に低い土塁のあとがみえるのは、信玄本陣を示す枡形陣形跡である。
云々。。。





===
三太刀七太刀之跡
永禄4年(1561)9月10日、ここ八幡原を中心に上杉、武田両軍三万余の
壮絶な死闘が展開された。
上杉謙信は紺糸縅の鎧に萌黄緞子の胴肩衣、金の星兜に立烏帽子白妙の練絹で
行人包、長光の太刀を抜き放ち、名馬放生に跨がり戦況の進展に注目、
乱戦で武田本陣が手薄になったのをみ、旗本数騎をつれ信玄の本営を強襲した。

この時の武田信玄は諏訪法性の兜、黒糸縅の鎧の上に緋の法衣、
軍配を右手にもち、この地で崩れかかる諸隊を激励指揮していた。
この信玄めがけて謙信は只一騎、隼の如く駆け寄りざま、馬上より流星一閃、
信玄は軍配で受けたが、続く二の太刀で腕を、三の太刀で肩に負傷を負った。

後にこの軍配を調べたところ刀の跡が七ヶ所もあったといわれ、
この一騎打ちの跡を世に三太刀七太刀の跡という。
云々。。。


八幡原史跡公園。

いや~、感動です。
八幡原史跡公園、八幡社周辺だけみても、
ヒジョーに面白かったですっ。

市立博物館前には、のどかな風景が広がっています。


佐久間象山。

公園入口近くに立つ佐久間象山さんの像。

ロケーションもいいし、近くにはまだ見てないところが
たくさんあるし、また来てしまいそうだなぁ。
歴史が好きな方には見逃せないエリアですネ。



以前の記事はこちらから。
川中島古戦場のいろいろ。Vol.1 [長野市*八幡原史跡公園]

【三太刀七太刀之跡】
@長野県長野市小島田町 (八幡原史跡公園内)

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する