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渋川市・滝沢石器時代遺跡。

滝沢石器時代遺跡」。
歌舞伎舞台のちょうど北になります。
渋川市にある国指定の史跡です。


1505takiiseki-6.jpg

高台にある、一見原っぱのよう。
しかしこの大地の下には、歴史のロマンをくすぐり、
ゾクゾクさせてくれる古代の遺跡が眠っていたのです!


=== 案内板より ===
国指定史跡 滝沢石器時代遺跡
滝沢石器時代遺跡は、名峰、赤城山の西麓にひろがる
舌状台地上に立地する
旧石器、縄文早期~晩期、弥生、古墳、平安時代にかけての
複合集落遺跡である。


渋川市・滝沢石器時代遺跡。

渋川市・滝沢石器時代遺跡。

旧内務省考査官の柴田常恵や群馬県史跡名勝天然記念物調査委員の
岩澤正作らの指導のもと、大正15(1926)に実施された発掘調査によって、
長さ1m、重さ60kgをこえる大石棒、炉跡を中心とした住居跡、
配石遺構などが発見され、昭和2年(1927)に約3haの用地が
国指定史跡となる(平成16年に追加指定あり)。


渋川市・滝沢石器時代遺跡。

東に赤城山、西に榛名山、
北に子持山と小野小山の山体を望む遺跡の北東隅には
“湧玉・わくたま”と呼ばれる湧水が現在も豊富にわき出し、
縄文時代の景観をしのばせる。


渋川市・滝沢石器時代遺跡。

滝沢石器時代遺跡は周辺の住環境整備事業の実施と関連して、
平成9年(1997)から平成11年(1999)にかけて
旧赤城村教育委員会による保存整備のための調査をしている。

現在までに縄文時代前期から晩期の住居跡15軒、
晩後期の大規模な配石遺構(環状列石)、
中後期の集石遺構、盛土遺構、土坑、平安時代の住居跡7軒などが確認されている。


渋川市・滝沢石器時代遺跡。

発掘調査により、遺構中心部から出土した縄文時代後晩期の配石遺構は、
東北地方の環状列石と肩を並べるほどのもので、
直径30m以上の大規模な環状列石であることが確認されており、
この環状列石の西端部では大石棒をともなう
祭祀の様子をうかがえる場所が見つかっている。
この石棒祭祀遺構を中心に岩版、石棒、石剣、土偶などの祭祀用具や土製耳飾、
凹石、石皿、打製石斧、磨製石斧、石匙、石鏃などの石器が数多く見つかっており、
縄文人の信仰の姿をうかがうことができる。

また、環状列石の外側に広がる縄文時代の住居跡や土坑からは、
前期の諸磯式土器や中期の焼町類型土器、加曾利E式土器、
後期の高井東式土器、晩期の安行式土器などの深鉢のほか、
打製石斧、石匙など様々な出土品が見つかっている。
云々。。。


ブルーのシートがかけられている場所がありました。
発掘調査の途中でしょうか。。。



渋川市・滝沢石器時代遺跡。

他に石碑に刻まれた案内もありました★

こちらは昭和43年に建てられたもののようで、
表記に時代を感じて、ナニゲにオモシロイです!

===
史跡 滝沢石器時代遺跡
指定年月日 昭和2年4月8日
説明
滝沢石器時代人は 縄文期の人人で 縄文早期から晩期にかけて
数千年の間 高台下の湧玉の泉を中心に生活を営んでいたが
その竪穴住居や生活用具は長い年月の間土砂の下に埋まっていた


渋川市・滝沢石器時代遺跡。

大正15年(1926)発掘調査が行われたが 住居跡群や石棒 岩版
精巧な耳栓 その他数多の土器 石器類の出土は
ようやく縄文文化の科学的研究が行われ始めた当時において
多大な学問的成果を収め 縄文文化研究に大きな影響を及ぼしたことに
この遺跡の意義がある


渋川市・滝沢石器時代遺跡。

注意
遺跡は発掘終了後 当時のまま地下に保存してあるので 発掘 破壊
遺物の採取等は禁止され 地形の改変は許可を必要とする
昭和43年11月3日 文化庁 赤城村教育委員会
云々。。。



以前の遺跡はこちらから。
北橘歴史資料館。[群馬県渋川市]
原之城 gennojo 遺跡。[伊勢崎市]

【滝沢石器時代遺跡】
@群馬県渋川市赤城町滝沢
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