ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2017/081234567891011121314151617181920212223242526272829302017/10

益田市・中須東原遺跡。

事前にチェックしていた史跡です。
中須東原遺跡」。
全国でも珍しい港町の遺跡です★

先に見学している地元の方がいらっしゃいました。
in 島根県益田市。


=== 案内板より ===
国史跡 中須東原遺跡
中須東原遺跡は、益田川の河口域で発見された中世の港湾遺跡です。
発掘調査によって、礫を敷き詰めた舟着場(荷揚げ場)跡や、砂利敷及び
溝状の道路で区画された街区など港町を構成する遺構が
良好な状態で発見されました。周辺に残る砂丘等の景観などもあわさって、
全国的にも稀な中世港湾集落の様相をよく留め、当時の姿を今に伝える
貴重な遺跡として、国の史跡に指定されました。

益田氏の勢力伸長と連動するように最盛期を迎える中須の湊町については、
「益田家文書」などの文献資料からの検討も加わり、海洋領主的な性格を持つ
益田氏の交易・流通実態の解明が進められています。


益田市・中須東原遺跡。

湊町の成立と発展
中須東原遺跡は、平安末期に成立した荘園・益田荘の流通拠点として、
沖手遺跡(11~12世紀)に続いて成立したと考えられます。
南北朝時代以降、西日本海では各地の領主や民衆が直接的に交易を行う
流通システムが成立し、隔地間交易が盛んに行われるようになりますが、
益田も例外ではありませんでした。


益田市・中須東原遺跡。

当時益田地域を支配していた益田氏が関わって、町を拡大させ、舟着場を整備して、
飛躍的に湊は発展していきます。商人や水夫などの交易に携わっていた人たちや、
鍛冶職人などの手工業生産に携わる人など、様々な人々が
経済活動を行っていたものと考えられます。

石見国と対馬を結ぶ日常的な交易ルートが定着し、さらに倭寇的勢力も介在しながら、
対馬を経由して中国・朝鮮や琉球、東南アジアなど広く東アジア世界とともに
密接に結ばれるようになり、全国規模での日本海水運の拠点湊として、また
益田川・高津川水運とも接続し、益田地域の流通・経済を支えていました。


益田市・中須東原遺跡。

湊町の移り変わり
約6000年前の縄文時代に、中須から大塚にかけての海岸部に砂州が形成され始め、
これに伴い、益田川と高津川の河口域には潟湖が形成されました。
外海の波浪や強風を避けることができる内水面に位置し、日本海側の
干満の差の少ない潮位など、湊の立地に適した自然環境が整っていたことから、
中世になるとこの潟湖浴岸に湊町が次々と成立しました。

この湊町群は、河川上流部からの土砂の流入や海面水位の変化による
潟湖の陸地化、洪水などによる河川流路の変化など、河口域における
地形環境の変化にあわせて、その場所を移しています。
最も早く成立した沖手の湊(沖手遺跡)に続き、南北朝時代以降
その下流部に位置する中須の湊(中須西原・東原遺跡)に流通の中心が移っていきますが、
戦国時代になると上流に位置する今市(今市遺跡・今市船着場跡)が成立してきます。
云々。。。


発掘調査の後に埋め戻されてしまったようで、
一見なんの変哲もない原っぱでした。
それでも湊町群の遺跡は初めてだったので
なんだか感動~★



以前の記事はこちらから。
染羽天石勝神社。[島根県益田市]

【中須東原遺跡】
@島根県益田市中須町

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する