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益田市・高津柿本神社。その29

~鴨山の磐根し枕ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらむ~

柿本人麿さんの歌が刻まれた、
高津柿本神社の境内にある石碑です。


益田市・高津柿本神社。その16

=== 案内板より ===
鴨島(鴨山)遺跡海底調査状況
昭和52年7月、梅原猛先生、考古学、地質学の先生等は、
人麿公終焉の地である鴨島を科学的に立証するため
10日間の海底遺跡調査を試みられた。

海底調査資料より抜粋
●浅い所の水深は4米で、5~6米の所がかなり広がっている。
陸側で8米、沖へ向う側12米、東西500米、南北400米位で、面積は大体20万平方米。
●河床と海岸にできるポット・ホール(井戸状の丸い穴)が、
水深8米の同じ深さの所に数ヶ所できている。普通渚にできるものであるから、
場合によっては沈降したのかも知れない。
●拳位の大きさの礫を揚げたうちに、三角形をした、三稜石というものが2個あった。
三角形の礫は卓越風の強い場所で飛砂との摩擦によってできるもので珍しい。


益田市・高津柿本神社。その27

●2米四方の真四角石が集まっている所、或いは丸い石が集まっている所、
或いは階段ではなからうかと思われる石が並んでいる所、
或いは敷き詰められたようにずっと石が並んでいる所、
柱や石垣や道のように見える所等、複雑異常の風景である。

調査終了後、現地座談会の締括りに於て「やはりここに鴨島はあるんだ
というぬき難い確信がある」と述べられた。  以上資料より

台石に置いてある石(高さ60cm横85cm厚55cm)は、
海底調査の際、暗礁より引揚げられたもので、もしかすると
石段に使用されていたものではあるまいかとの説である。
云々。。。


益田市・高津柿本神社。その15

===
柿本人麻呂と石州半紙
万葉の歌人、柿本人麻呂は晩年にこの石見地方に住んだと言われており、
石州半紙の生産を奨励したという伝説が残っています。
石州半紙は、コウゾ、ミツマタなどの樹皮からつくる手すき和紙で
藩政時代には津和野藩や浜田藩の重要な財源となっていました。

近年洋紙におされて生産量は減ってきましたが、1969年(昭和44年)に
重要無形文化財に指定され、三隅町を中心に伝統が引きつがれています。

この園路の入口と園路下にあるミツマタは中国から日本に渡来した
落葉低木で枝が3本づつにわかれることから、この名があります。
春に新しい葉に先立ってハチの巣に似た黄色の花を咲かせます。
万葉時代には「さきくさ」と言われていました。

この絵は、江戸時代の製紙法を記した「紙漉重宝記・かみすきちょうほうき」
(1798年・寛政10年)に描かれています。
著者の国東治兵衛は浜田藩美濃郡遠田村(現益田市遠田町)出身です。
云々。。。


神社さんに伝わる、伝説と歴史であります。
深いっ。。。



以前の記事はこちらから。
高津柿本神社。[島根県益田市]

【高津柿本神社】
@島根県益田市高津町

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