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益田市・高津柿本神社。その1

夕べのお酒もなんのその。
天気に恵まれたこの日。まさに神社日和★
高津柿本神社」にやって参りました。

飛鳥時代の歌人、柿本人麿さんをお祀りしている神社さんです。
飛鳥時代とは、古墳時代と奈良時代の間ですから、
ずいぶん昔の方なんですねー。


益田市・高津柿本神社。その2

参道、石段正面の「楼門」。

=== 案内板より ===
柿本神社楼門由緒
歌聖柿本人麿朝臣は、天武天皇、持統天皇、文武天皇朝に
宮廷歌人として仕えられ、大宝年中に石見国府の役人として石見に下り
秀逸な石見相聞歌を残し、神亀元年(724)、石見高津の鴨島で逝去された。
聖武天皇は甚く嘆かれ、勅命により鴨島に人丸社を創建された。
万寿三年(1026)5月、石見未曾有の地震のために鴨島は陥没した。
人丸社の尊像は松崎の地に漂着し、地区民は人丸社を再建した。
石見大森銀山奉行大久保石見守長安は社殿の造営を行った。


益田市・高津柿本神社。その3 益田市・高津柿本神社。その13
(写真はクリックで大きくなります。)

現在の柿本神社は、津和野藩主亀井茲政が、延宝9年(1681)、
高角山に本殿、拝殿、楼門を建立したことから始まる。
楼門は神聖な神社への出入り口で、殊に入念に建造されている。
これは偏に津和野藩主亀井茲政の崇敬が、篤かったことが伺える。


益田市・高津柿本神社。その10 益田市・高津柿本神社。その11

この楼門は、初層と上層からなり、二層とも桁行3間、
梁間1.5間の三間楼門で屋根は瓦葺きの入母屋造りである。
上層には四方に切り目縁の床を張った廻縁を付け、勾欄を組み、
組物は出組で、蝦尾を思わせるこぶし鼻と、柱頭の装飾的な木鼻が特徴的な
折衷様式の門である。


益田市・高津柿本神社。その12
(楼門の内側には、いろいろな資料が展示されていて
ちょっとした博物館のよう。。。)


前回の大改修は明治24年(1891)に行われ、
今回の平成17年(2005)の改修は、114年ぶりの大改修となる。
長い年月にわたる風雨等により劣化が進んだため、
屋根の葺き替えと木部の取り替え等の大改修が行われた。
築後324年を経て、21世紀の現代に再生された。
云々。。。



益田市・高津柿本神社。その5

柿本神社の境内にあった「八幡宮」。

益田市・高津柿本神社。その4 益田市・高津柿本神社。その6 益田市・高津柿本神社。その7

益田市・高津柿本神社。その8 益田市・高津柿本神社。その9


益田市・高津柿本神社。その17 益田市・高津柿本神社。その18 益田市・高津柿本神社。その19

「手水舎」と「狛犬」クン。


益田市・高津柿本神社。その22 益田市・高津柿本神社。その23

「神楽殿」と「宝物殿」。


益田市・高津柿本神社。その30

益田市・高津柿本神社。その21 益田市・高津柿本神社。その20

「拝殿」。


益田市・高津柿本神社。その24

「本殿」。

===
柿本神社本殿
柿本神社の祭神は柿本人麿で、その起源は人麿の終焉地鴨島に
勅命により建立された社殿といわれています。
鴨島は万寿3年(1026年)の大地震により海中に没しましたが、
その時に人麿尊像が松崎に漂着したので、
現在地より北の松崎の地に社殿が再建されました。

その後、近世に入り慶長13年(1608年)に徳川秀忠の命により、
石見銀山奉行大久保長安によって造営され、
寛文11年(1671年)には津和野藩主亀井茲政(これまさ)によって
宝殿、拝殿、楼門が修理されました。
そして、延宝9年(1681年)に茲政は風波を避けて
神社を現在地の高津城跡に移転しました。


益田市・高津柿本神社。その25

複雑な地形を効果的に利用した社殿配置と独特の建築様式を持った当神社は
津和野藩が残した重要な遺産となっています。
本殿は正面三間、側面三間の入母屋造妻入、桧皮葺で、
唐破風造の向拝を有し、津和野の方向を向いています。
殿内は亀井家の四ツ目結び紋を配した板扉によって外陣と内陣に区切られ、
内陣の中央後方に須弥壇があり、向唐破風造屋根を戴く厨子が置かれています。

また、柿本神社は享保8年(1723年)の人麿千年祭にあたり
正一位柿本大明神の宣下を受け、社宝として重要美術品に認定された
御法楽御短冊が奉納されています。
云々。。。


益田市・高津柿本神社。その26

境内から見た街並み。
赤い瓦がとても綺麗♪
石州瓦というのだそうです。


益田市・高津柿本神社。その28

===
御案内記
一、御社名 柿本神社
一、御祭神 柿本人麿
一、御鎮座地 益田市高津町鴨山(一名高角山)
一、神社の由緒
柿本人麿朝臣は、考昭天皇の皇子天足彦国押人命の後胤である
小野族から分かれた柿本族の出である。柿本族の本拠は大和にあったが、
その一部族が益田市戸田(小野郷)に移住、小野の地に於て
人麿公は御生れになったと伝えられている。
青年時代に都に上られ持統天皇、文武天皇の両朝に宮廷歌人として仕えられた。

万葉集にある如く「鴨山の岩根し枕ける吾かも知らにと妹が待ちつっあらむ」
の歌を残されて石見国の鴨山に逝去された。
その鴨島は高津の沖にあったと今日まで語り伝えられて来ている。
神亀元年、国司が勅命によって終焉地である鴨島に社殿を建立したのが
起源である。
万寿3年の大地震により鴨島が海中に陥没したと伝えられている。
その時の大津波のため人麿公の尊像は松崎の地に漂着されたので、
この地に社殿を再建された。
以後延宝8年に至る654年間松崎の地に鎮座。
延宝9年亀井藩主により現在の鴨山に再建された。
云々。。。


歴史と伝説がテンコ盛りの神社さんでした★
また来よう、また来てみたい、柿本神社。。。



以前の記事はこちらから。
居酒屋 かすり。[島根県益田市]
以前の人丸神社はこちらから。
ブルーの瞳の狛犬クン♪  佐野市★人丸神社

【高津柿本神社】
@島根県益田市高津町

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