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鑁阿寺 . March, 2015。[足利市]

=== 案内板より ===
寺家の由来
源姓足利氏の氏寺であり、足利義兼の居館であった鑁阿寺(足利氏宅跡)は、
その周辺地(現在の家富町)の界隈に十二の支院を有していました。
室町時代には千手院を幹事寺として、十二の院が毎年輪番で
鑁阿寺の年中行事を担当するようになりました。


鑁阿寺 . March, 2015。[足利市]

江戸時代には鑁阿寺を中心として町並みが形成され、この周辺地は
『寺家』と呼ばれるようになり、この『寺家』が十二の寺を支えてきました。
『寺家』では、毎月決まった日に市が開かれ、大変な賑わいをみせたといいます。
云々。。。


鑁阿寺 . March, 2015。[足利市]

===
奥の院通りの由来
源頼朝は、文治5年(1189)藤原泰衡(やすひら)を討つために奥州平泉に出かけ、
従兄弟であり義兄弟でもあった足利義兼もこれに同行しました。
この際2人は典雅で壮大な浄土庭園を持つ毛越寺に感激し、これを真似て
頼朝は鎌倉に「永福寺・ようふくじ」を、義兼は足利に「樺崎寺・かばさきでら」を
建立したといわれています。

この樺崎寺跡は平成13年1月「国史跡」の指定を受けました。


鑁阿寺 . March, 2015。[足利市]

この寺は「壇上(鑁阿寺)」に対して「奥の院」と称せられ
足利氏歴代の御廟陵として敬われていましたが、足利氏三代目義氏が
樺崎寺城内に八幡大菩薩を勧請しました。
これが樺崎八幡宮です。

鑁阿寺の大御堂の裏に扉があります。
これは鑁阿寺から丑寅(うしとら)の方角にある
奥の院を礼拝するためのものだと言われています。

鑁阿寺北門からこの奥の院にむかう約7キロの道が「奥の院通り」
と呼ばれ参詣者で賑わいました。


鑁阿寺 . March, 2015。[足利市]

現在の道筋とだいぶ変わっていますが、途中にはあじさい寺で有名な
足利氏五代目頼氏が創建した「吉祥寺」や足利氏三代目義氏開基の
「光得寺」(明治の初め廃仏毀釈の際に樺崎八幡宮より移された
運慶作の大日如来像が現存します)があり、美しい里山の風景が
見られる道です。
云々。。。



以前の鑁阿寺はこちらから。
鑁阿寺 . November, 2014。[足利市]

【鑁阿寺】
@栃木県足利市家富町2220

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