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諏訪大社下社、春宮。その1

長い参道が続きます。向こうの方に見える「鳥居」。
こちらの太鼓橋は「下馬橋」です。
遷座祭の時にはお神輿が渡るのだそうです。


諏訪大社下社、春宮。その2

鳥居の手前にある「手水舎」。


諏訪大社下社、春宮。その3

諏訪大社 下社春宮」であります。


=== 案内板より ===
諏訪大社下社春宮
諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を 祀り、上社は建御名方富命(彦神)を
下社 は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。

下社の祭神は、2月から7月まで春宮に鎮座 し、
8月1日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌2月1日に春宮に帰座される。


諏訪大社下社、春宮。その4

諏訪大社下社、春宮。その5

下社の中心となる建築は、正面中央にあり
拝殿と門を兼ねたような形式の幣拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、
それらの背後 にある、東西宝殿からなる。

東西の宝殿は茅葺・ 切妻造・平の簡素で古風な形式をもち、
申寅の7年ごとに新築する式年造替制度がとられている。
右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、また、
その幣拝殿と左右片拝殿に 似た形式は、長野県内の諏訪神を祀る
いくつ かの神社でも用いられている。


諏訪大社下社、春宮。その6

現在の春宮の幣拝殿は安永8年(1779)に完成したと考えられる。
大工棟梁は、高島藩に仕えた大工棟梁伊藤儀左衛門の弟である。
柴宮(当時は村田姓)長左衛門矩重(1747~1800)であった。


諏訪大社下社、春宮。その7

幣拝殿は間口の柱間が一間、奥行が二間で、背後の壁面に扉口を設ける。
二階は四方が ふきはなちで、屋根は切妻造・平入の銅板葺(元は檜皮葺)で、
正面は軒唐破風をつける。
左右の片拝殿は、梁行の柱間が一間・桁行が五間で、
屋根は、片流れの銅板葺である。


諏訪大社下社、春宮。その11

幣拝殿の建築様式の特徴は各所につけら れた建築彫刻の数の多さと、
その躍動感にあふれた表現である。
正面の腰羽目の波、虹梁の上の牡丹。唐獅子・唐破風内部の飛竜・
一階内部の小壁の牡丹・唐獅子・扉脇の竹・鶏で名作が多く、
建築彫刻の名手である柴宮長左衛門の腕前がよくうかがえる。
云々。。。


諏訪大社下社、春宮。その12

===
幣拝殿
この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので
幣拝殿と呼ばれている。
建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が
施されている。


諏訪大社下社、春宮。その13

棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で
秋宮幣拝殿より1年早い安永9年(1780)に落成した。
春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた。
云々。。。


諏訪大社下社、春宮。その8

===
上諏訪社(末社)
御祭神 建御名方神
上の諏訪 つまり上社の御祭神をお祀りしている。

若宮社(摂社)
御祭神 建御名方彦神別命・伊豆早雄命・妻科比売命・池生神・須波若彦神・
片倉辺命・蓼科神・八杵命・内県神・外県神・大県神・意岐萩命・妻岐萩命
お諏訪さまの御子神十三柱をお祀りしている。
云々。。。


諏訪大社下社、春宮。その9

===
御柱(おんばしら)
御柱は寅年と申年の7年目毎に御宝殿の造営と共に建て替えられる御神木で
社殿の四隅に建立されています。
この春宮一之御柱は長さ17米余直径1米余の樅の樹で霧ヶ峰高原に続く
東俣國有林に於いて伐採され、数千人の氏子の奉仕により曳行されました。

御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回は平成28年丙申年に行われます。
云々。。。


諏訪大社下社、春宮。その14

===
子安社(末社)
御祭神 高志沼河姫命
お諏訪さまの御母神である高志沼河姫命をお祀りする
昔からお産の守り神として親しまれ底の抜けた柄杓は
水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである。
云々。。。


諏訪大社下社、春宮。その15

===
筒粥殿
下社特殊神事の一つである筒粥神事の神粥炊上げが行われる建物で
毎年1月14日夜から15日早朝にかけて神職がいろりを囲み
一晩中葦筒を米と小豆の粥に入れて炊込み葦筒44本の内43本は作物の豊凶を
残りの1本は世の中を占う
土間中央のいろりは江戸時代初期のものである。
云々。。。


諏訪大社下社、春宮。その10

===
結びの杉
この杉の木は先で二又に分かれているが根本で一つになっていることから
「縁結びの杉」といわれている
云々。。。


諏訪大社下社、春宮。その16

日本最古の神社の一つ、神代の昔からの由緒を持つ「諏訪大社」は、
諏訪湖の周りに4箇所のお社があります。


『古事記』・『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の
降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように
迫ったとされる。
これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、
武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れた。そして、
以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされる。
説話には社を営んだことまでは記されていないが、
当社の起源はこの神話にあるといわれている。
なお、この説話は『日本書紀』には記載されていない。

以上はあくまでも神話の域を出ないが、
これを基に土着の勢力の上に外から入った神氏によって成立したのが当社である
と考えられている。諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは
全国でも群を抜いており、当地が繁栄していた様子がうかがわれる。~
と、ウィキペディアには紹介されていました。


【諏訪大社 下社春宮】
長野県諏訪郡下諏訪町

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