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美々津の立磐神社。その1

「日本海軍発祥之地」の記念碑のところから、
一直線にのびた参道。
立磐神社 tateiwa-jinja」です。

美々津の立磐神社。その2
(写真はクリックで大きくなります。)

「手水舎」。
境内に入ると大きな岩がごろごろしています。


美々津の立磐神社。その3

美々津の立磐神社。その4

神武天皇がお座りになられたという、
「神武天皇御腰懸磐」。


美々津の立磐神社。その5

「神武天皇御船出の歌伝説の碑」。
~日の草の赤が美栄えてとことわに 瑞穂の国は栄えまつらむ~


美々津の立磐神社。その6

美々津の立磐神社。その7 美々津の立磐神社。その8

二つ目の「鳥居」と「狛犬」クン。


美々津の立磐神社。その9

そして「ご神木」。
コケむしてます。


美々津の立磐神社。その10

「拝殿」。


美々津の立磐神社。その11

「本殿」。


=== 案内碑より ===
立磐神社の由緒
当社は神武天皇御東遷の砌、美々津港より御船出し給うに当り、
御航海の安全を御祈念せられて、この埠頭に住吉大神とも申し奉る、
底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の大神を奉斎し給うたとて、
第十二代景行天皇の御代に創祀されたものである。
其後多くの変遷隆替を経ましたが、貴き伝説と特異の行事等は、
今も尚連綿として継承されています。


美々津の立磐神社。その12

かくて永禄の頃より地頭の崇敬あり、祭礼行事も殷盛となっていました。
然るに天正6年(約440年前)大友氏と島津氏との戦火に罹り、
宝物文献記録等皆烏有に帰したのであります。


美々津の立磐神社。その13

其後元和9年に再興し、寛文宝永の頃完く旧観に復して、領主より神領を供されて
社殿増築をなし、又神事ある毎に寄進あり、かくて明治初年迄
歴代藩主の崇敬せられた神社であります。

更に境内には「神武天皇御腰掛の岩」があり、
玉垣を巡らして岩そのものを御神体として崇拝しています。


美々津の立磐神社。その14

明治4年郷社に列格、やがて昭和9年は恰も神武天皇がお船出せられて
丁度2600年に相当するので、之を記念して国家的大祭典を挙行せらるるよう
県当局へ申出し処承諾され、終に秩父宮殿下を総裁に仰ぎ、松平頼寿伯を会長に
酒井忠正伯と君島知事を副会長として全国的な御東遷二千六百年祭典が
斎行されました。


美々津の立磐神社。その15

当社記念事業としては(1)境内を更に拡張整備した
(2)竜神バエの岩上に住吉灯籠を摸したる神のみあかし灯台が設置された
(3)日本海軍発祥の地の記念碑が建立された
(4)おきよ丸御東行巡路漕舟大航軍を挙行された
これは日向国の青年150名が漕舟して美々津港を船出し途中天皇がその昔
御寄港せられたという由緒あるところに寄港しつつ、其月浪波に上陸
御楯を奉持陸路橿原神宮に奉納した末曽有の大行事でありました
云々。。。


神武天皇、御東征船出の地。
美々津にある神社さんです。。。



以前の記事はこちらから。
日本海軍発祥之地の碑と海軍両爪錨展示碑文。[宮崎県]

【立磐神社】
@宮崎県日向市美々津町

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