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伝新田義重夫婦の墓。[太田市]

「徳川東照宮」の東にあります。
こちらもまた、畑の真ん中ですっ。


伝新田義重夫婦の墓。[太田市]

新田義重夫婦の墓」であります!


=== 案内板より ===
徳川氏館跡の宝塔
新田義重の二男(あるいは四男)義季は、父より新田荘内徳川・
女塚・押切・世良田・上平塚・三ツ木・下平塚などを譲られ、
徳川に館を造り、徳川氏を称した。

義重は義季を特に愛し、夫人と共にこの館において晩年を送り、
没後邸内に葬られたと伝えられている。古来よりこの一郭は、
義重夫婦の墓所と伝えられ、徳川幕府に特別に保護されてきた。


伝新田義重夫婦の墓。[太田市]

宝塔は凝灰岩製で、現存部の高さは140cm、相輪上部を欠失し、
屋蓋(おくがい)は三個に破損し鉄箍(かなたが)が巻いてあるが、塔身・基礎等はなお良く、
造立当初の形を存しており、往時をしのぶことができる。

傍らの塔も凝灰岩製で、今は基礎が遺存するのみだが(欠失した時代は不明)、
宝塔と屋蓋は、三個の切石で造られたようになっているが、地震か他の災害で倒れ、
三個に割れたのを割目を削り取り、鉄箍を掛けて整えたためであろう。
塔身および軒口の厚さに比較して小さく感じられるが当初は一つの石で
現在より大きかったと考えられる。
鉄箍には、「天保八年丁酉七月」の刻銘がある。修理した時の銘であろう。


伝新田義重夫婦の墓。[太田市]

昭和45年2月の墓地整備の際、宝塔わよび他の基礎の下より、
一個ずつ立派な四耳壺の灰釉陶器(肩部に四個の撮(とって)のある
草木灰を釉として壺)が出土し、いずれも火葬骨で満ちていた。
遺骨は塔下に埋葬し、骨壺は満徳寺に保存されている。二個とも
宝塔と同時代の瀬戸・常滑の焼成と考えられる。
云々。。。



以前の新田義重さんはこちらから。
曹源寺 さざえ堂 sazae-dou  ★太田市
新田荘遺跡、十二所神社と茶臼山古墳  ★太田市

【伝 新田義重夫婦の墓】
@群馬県太田市徳川町

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