ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2017/07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017/09

太田市・義国神社。その1

=== 案内板より ===
義国神社
源義国を祭神とするこの祠は、久しく義国天神と称され、村人によって
崇敬されてきた。元文4年(1739)正月八代将軍徳川吉宗は、
義国院祭祀料として、白銀5枚を奉納し遠祖の霊を追祀したという。
明治10年群馬県より神社号を公称することを許された。


太田市・義国神社。その2

義国は八幡太郎源義家の三男として生れた。新田氏の祖義重並に
足利氏の祖義康の父であり平安時代の武将であった。


太田市・義国神社。その3

帯刀長(たちはきのおさ・皇太子を警護する役人の長)となり
式部大夫従五位下加賀介に叙任された。
右大臣実能の屋敷を義国の郎等(ろうとう)が焼打したことにより
天皇のおとがめをこうむり下野国足利に引きこもったが、のち出家して
荒加賀入道と称し新田に居住し、久寿2年(1155)6月26日に没したという。


太田市・義国神社。その5

義国の孫矢田判官足利義清備中(現岡山県)水島の戦いを前に、
寿永2年(1183)10月朔日、祖父義国等の供養の為納経した大般若経の奥書に
「為供養、上野国新田住式部大夫加賀介従五位下義国。。。」とあり、
義国は新田の地で没したのではないかと推測される。


太田市・義国神社。その4

祠の裏手には、義国の供養塔と称せられる五輪塔の残欠があり、
その没年が記されている。
なお祠前には観応2年(1351)の板碑がある。
云々。。。


源義国さんのお墓。
足利の大日様、「鑁阿寺・ばんなじ」を建てた、
足利義兼さんのおじぃちゃんにあたる方です。。。



以前の記事はこちらから。
新田荘遺跡、十二所神社と茶臼山古墳  ★太田市
ばんな寺の御霊屋(おたまや)  ★足利市

【義国神社】
@群馬県太田市岩松町

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する