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ジオパーク、下仁田町自然史館。その4

ジオパーク、下仁田町自然史館。その1 ジオパーク、下仁田町自然史館。その2

下仁田ネギで有名な、下仁田町に来ています。
こちら「下仁田町自然史館」です。
廃校になった小学校に、散策に役立つ情報、資料を展示した
下仁田ジオパークの拠点施設であります。

早速こちらで、面白そうなリーフレットをGETし。。。

さぁ、出掛けよう!
と、思ったところで入り口にあった模型を発見★


ジオパーク、下仁田町自然史館。その3

=== 案内より ===
水車模型
こんにゃく製粉は幕末まで水戸藩の専売品となっていました。
明治期に入り、こんにゃく栽培の盛んであった西上州(南牧村)に
この製粉技術が伝わり、物流で栄えていた下仁田町で広がりをみせ、
現在も日本を代表するこんにゃくの集散地となっています。

荒粉(天日干しされたひんにゃくチップ)で取引されていた時代に
臼の中に荒粉を入れ、杵で昼夜突き製粉しました。この杵の動力として
水車の動力が利用されました。より安定した動力を得るため、その後は
縦軸タービン水車が用いられ、その後、電化されました。
下仁田で水車が普及したのも安定的な水量と適度な傾斜など地形が、
水車動力に適していたのかもしれません。
現在は乾燥から製粉まで一貫した製法に代わっています。
云々。。。


前回のジオパーク散策で訪問した袋田の滝界隈も
同じくコンニャクが有名。
ジオパーク有り、天狗党有り、
北茨城と下仁田エリア、共通項が多いなぁ。。。


ジオパーク、下仁田町自然史館。その8

=== 館内の展示資料より ===
下仁田ジオパークのジオストーリー
~多様な大地の変動から古代人の足跡まで~
下仁田ジオパーク内には、秩父帯・三波川帯などのジュラ~白亜紀付加帯、
中央構造線、跡倉クリッペ、中新世の火山活動「本宿陥没と妙義火山」、鏑川流域の
段丘の形成など、日本列島形成過程における様々な地質現象の痕跡が残っています。

そのように形成してきた下仁田の大地は、独特の地形・風土を生みだし、
資源地形をうまく利用し、下仁田の人々は暮らしてきました。
下仁田ジオパークでは、ダイナミックな地質現象とその変動してきた
大地の上に住む人々の暮らしを体感することができます。
云々。。。


下仁田自然史館のすぐ目の前の沢はこんな風景。。。


ジオパーク、下仁田町自然史館。その5

これが根なし山の境目、
「跡倉クリッペのすべり面」と呼ばれるモノ。


ジオパーク、下仁田町自然史館。その6

亀裂を境に、下の地層はブルーがかっている
青岩公園で見られる岩と同じ地層。
そして上が、恐竜時代の海の地層。
う~ん、不思議だ。。。


ジオパーク、下仁田町自然史館。その11

そして、もう100mほど北に行ったところ。

=== 案内板より ===
跡倉のフェンスター(地窓)
私たちの立っている道路面は、大崩山からつづく跡倉層(8千数百万年前の
白亜紀後期)の砂岩ですが、前の青倉川の川底は緑色片岩です。
川底におりてみると、水平の断層面を境に、両者が接しているのが見られます。


ジオパーク、下仁田町自然史館。その9

左岸の断層の様子(案内板の写真)
緑色片岩には、押しつぶされてできた細かい割れ目がいっぱいできています。
これは根なし山をつくっている岩体が、地殻変動で緑色片岩の上を
ずり動いてきたときのきずあとです。

この断層は、下流の跡倉橋あたりまでつづき、両岸の崖で何カ所か
観察できます。


ジオパーク、下仁田町自然史館。その10

右岸の断層の様子
それを地図に書きこんでみると、青倉川により跡倉層がけずりとられ、
下にある緑色片岩が川底だけに見えていることがわかります。
まるで地面に細長い窓が開けられ、地下が見えるようなので、
この構造をフェンスター(ドイツ語で「窓」の意味)または地窓といいます。
云々。。。

北茨城ジオパークとはずいぶん違った雰囲気ですねー。
〝根なし山〟っていうのも初めて知りました★



以前のジオパークはこちらから。
宿魂石と大甕神社。[日立市]

【下仁田自然史館】
@群馬県甘楽郡下仁田町大字青倉158番地1

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