ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

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袋田温泉、思い出浪漫館。その17

袋田温泉、思い出浪漫館。その1

遅いチェックインでも心配ご無用。
近くにお店がないけど大丈夫!館内にある居酒屋「宵の口」。
早速「生ビール」と「もつ煮」で乾杯デス。

袋田温泉「思い出浪漫館」さんにやって参りました。


袋田温泉、思い出浪漫館。その2 袋田温泉、思い出浪漫館。その3
(写真はクリックで大きくなります。)

袋田温泉、思い出浪漫館。その4 袋田温泉、思い出浪漫館。その5

「餃子」と「醤油ラーメン」、
「おでん」に「熱燗」♪
ポスターの女の子は誰だろう?(笑


袋田温泉、思い出浪漫館。その6

とても綺麗なホテルです。
アロマテラピーのサロンや、ナイトバー、
施設も充実していて、至れり尽くせり♪


袋田温泉、思い出浪漫館。その7

こちらは〝大浴場〟。


袋田温泉、思い出浪漫館。その8 袋田温泉、思い出浪漫館。その9

大浴場から続く〝露天風呂〟です。
泉質はアルカリ性単純泉。お肌がツルツルになる温泉です。


袋田温泉、思い出浪漫館。その11

早朝に入った〝渓流露天風呂〟。

夜の居酒屋、温泉も良かったけれど、
朝食の焼き立てクロワッサンも美味しかったな~☆
(和洋のバイキングです。)


袋田温泉、思い出浪漫館。その12

と、ナニゲに淡々とレポートしておりますが、
なんとこちらの浪漫館さん、とても興味深い歴史を持ったお宿だったのですっ!
(事前リサーチ無しで、飛び込みでお邪魔したお宿だったのでなおビックリ)


=== お部屋にあった資料より ===
当館温泉の由来
当地温泉の歴史は古く、平安の時代から温泉が出たと言い伝えられております。
今も「湯八幡神社」「田毎の湯」「湯入」などの史跡・地名が残っていることからも
その様子が伺えます。
~中略~

天保5(1834)年、徳川斉昭が北郡筋の巡視のためこの地方を訪れた時、
水戸藩屈指の名家袋田の櫻岡家の裏手の離れに休んだといわれています。
(櫻岡初代当主源次衛門は、コンニャクの機械による製造を発想・研究。
日本で初めてコンニャクの大量生産販売に成功し今日の蒟蒻産業の礎を築き
財を為しました。)
斉昭公はこの離れを大変気に入り「くみてしる めくみの露を せきとめて
澄めるなかれの 水のこころを」と詠み、「清流亭」という名を与えられました。
当思い出浪漫館はこの屋敷跡にあります。


袋田温泉、思い出浪漫館。その15

また斉昭公は袋田の滝をご覧になられた後、佐竹家の家臣が築城し廃城になってしまった
月居古城がある月居山に登られ、はるか秋田に移封された佐竹家を偲んで
「尋ぬれば人は昔の名のみにて雲井の月もすみわたりける」と詠まれました。

櫻岡家当主源次衛門直方はこの2つの歌を碑に刻み、屋敷内に建てました。
その碑はこの櫻岡邸屋敷跡にある当館敷地内に今も残っております。
櫻岡家は屋敷神として清流亭の背後に八雲神社を祀っていましたが、そのお社は
今も当館の背後に現存しており、袋田住民の手で守られております。


袋田温泉、思い出浪漫館。その16

茨城交通を経営していた竹内勇之助(当ホテル初代社長)は、名勝袋田の滝の近くに
自噴温泉を再び・・・という悲願達成のため、昭和10年に温泉発掘開発事業に着手いたし、
幾多の困難を克服して1年半の歳月をかけて353mまで掘削したところ悲願叶って
一昼夜5000石もの温泉が湧出しました。
いつのまにか枯渇して言い伝えだけになってしまった温泉は、昭和の時代になり
茨城県初の自噴温泉として「男女百病を治す」と称された名湯が再興されたのです。
云々。。。


袋田温泉、思い出浪漫館。その14

===
ひとくち豆知識
思い出浪漫館にまつわる歴史
当館には幕末の秘話の足音が残されています。
1860年(安政7年)3月3日、櫻田門外の変で実行隊長として襲撃を指揮した
水戸藩士関鉄之助は、大老井伊直弼を暗殺したのち水戸藩領である
袋田の櫻岡家に匿われ潜伏しました。
計画では大老襲撃は序曲に過ぎず、同時に薩摩藩が挙兵をして京都を制圧し、
朝廷を幕府から守るはずでした。

しかし薩摩藩内では挙兵慎重論が持ち上がり、計画は瓦解します。
関鉄之助は幕府側からは勿論、かつての同胞・水戸藩士からも追われる立場となり
悲しみの中で潜伏を余儀なくされたのです。(その潜伏先の櫻岡家跡地に
当館はあります)

この頃関鉄之助は病にかかっていたため、櫻岡家屋敷内の袋田温泉で
温泉治療をしたと伝えられています。
「河鹿鳴く 山川水の うきふしに あはれは春の 夜半にもぞしる」
櫻岡家跡地にある当館には潜伏中に詠んだ関鉄之助の歌碑が今も残っており、
当袋田の地が幕府改革の舞台の一つであったことが伺えます。
云々。。。


袋田温泉、思い出浪漫館。その13

===
櫻田門外の変
桜田門外の変は、関鉄之助率いる水戸藩を脱藩した浪士17名と元薩摩藩士1名が
江戸城に登場する大老井伊直弼を襲撃し殺害したという歴史を大きく動かした
大事件です。
1860年(安政7年)3月3日、勅許なく安政の仮条約に調印・開国し、
安政の大獄などで攘夷派の弾圧を行った大老井伊直弼が尊王攘夷派の
水戸・薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で暗殺されました。
この事件を機に、水戸藩に興った幕政改革をめざした学問・教育の思想が
討幕運動を引き起こし幕末の日本に大きな転機をもたらしました。
尊王攘夷の志士たちが、列強との戦端を開き、さらには明治維新へと
突き進んでいくための先駆けになったのです。
云々。。。


===
袋田の櫻岡家
当主は櫻岡源次衛門。(水戸藩屈指の富豪)
久慈郡保内郷の中島藤右衛門が日本で初めてコンニャク芋を乾燥して
粉にすることを考案。生芋が製粉化されるようになったことで、
貯蔵・輸送が可能となりました。
袋田の櫻岡源次衛門はコンニャクの機械による製造の発想・研究を重ね、
日本で初めてコンニャクの大量生産販売に成功して今日のコンニャク産業の
礎を築いたのです。
袋田で生産された水戸藩のコンニャクは各地に売り出され名声を高め、
水戸藩の財政を支えるまでになりました。
勤皇志士でもあった櫻岡源次衛門は、尊王攘夷を主張する天狗党の一人で、
コンニャクで得た利益を勤皇志士の活動資金として提供し、
桜田門外で井伊大老を襲った水戸藩浪士の活動資金の源にもなっていました。
云々。。。


激動の幕末。
先人の方々の足跡。
その歴史の一片がここ浪漫館さんにありました!

温泉に浸かって、綺麗なホテルでゆっくりくつろげて、
食事も美味しいですし。そしてそして歴史も満載っ!
袋田温泉「思い出浪漫館」さん♪
またお邪魔したいお宿です☆



以前の記事はこちらから。
袋田の滝。[茨城県久慈郡大子町]

【思い出浪漫館】
@茨城県久慈郡大子町袋田


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