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中央自動車道「釈迦堂PA」の次、「一宮御坂IC」からほどなく。
甲斐国分寺跡」にやって参りました!
この辺りは、お隣の甲州市も含めて、
ヒジョーに遺跡・史跡の多いエリアで、前からチェックしていたのですっ。


甲斐国分寺跡。その5

=== 案内板より ===
甲斐国分寺跡
甲斐国分寺跡は南北330メートル、東西225メートルの築地塀と
溝に囲まれた範囲に広がっていました。
寺の正面は南側で、正門である南門から入ると中門と回廊に囲まれた
宗教的な空間があります。
回廊奥の建物は国分寺の中心である金堂で、本尊の釈迦如来を
安置していました。


甲斐国分寺跡。その7

回廊内の東端には国分寺のシンボルと言える塔が建てられました。
金堂の北側には経典の購読をする講堂、さらに僧侶たちの宿舎である
僧房が続き、金堂・講堂の両脇には鐘楼・経楼があったと
推定されています。
塔及び講堂跡等に礎石が現存し、当時の壮大な伽藍をしのぶことが
できます。


甲斐国分寺跡。その6

寺伝によると古代の国分寺は建長7年(1255)に焼失し
戦国時代に武田信玄によって再建されました。
現在は史跡保存のため約200メートル南に移転しています。
云々。。。


甲斐国分寺跡。その4

===
塔跡
「国分寺建立の詔」では国ごとに七重塔を建て、「国の華」とするように
命じていました。塔は釈迦の遺骨(舎利)を祀る建物で、
国分寺のシンボルとも言えます。
甲斐国分寺の塔跡は、中門と金堂をつなぐ回廊内の東側にありました。
正方形に配置された礎石が残され、発掘調査の結果、一辺約16.9メートルの
基壇の上に建てられていたことがわかりました。
中央にある大きな礎石は「心礎」と言い、塔の真ん中にまっすぐ建てられた
心柱を支えていたものです。
心礎の上は心柱を乗せていた部分が「柱座」という浮き彫りになっています。
心礎の中心部には舎利を納めた「舎利孔」という穴があります。
云々。。。


甲斐国分寺跡。その8

===
中門跡・回廊跡
甲斐国分寺跡の伽藍は、南から南門・中門・金堂・講堂が
一直線上に並んでいます。
南門は国分寺の正面にあたり、中門に向かって真っすぐに
参道が延びていました。中門からは東西に回廊が延び、回廊はコの字形になって
金堂の両脇につながります。中門・回廊・金堂に囲まれた場所は
聖なる空間とも言え、その東端に塔が建てられました。
甲斐国分寺の中門跡は現在の参道の西脇に礎石が一つ残っています。
発掘調査により、この下に基壇という土をつき固めた壇があることが
わかりましたが、規模はまだ不明です。
云々。。。


甲斐国分寺跡。その2

===
金堂跡
金堂は国分寺の中心に位置する建物で、本尊の釈迦如来像が安置されていました。
釈迦如来像は丈六と言う高さ約2.4メートルの座像で、両脇には高さ3メートルの
文殊菩薩と普賢菩薩の像が立てられていました。
金堂跡は残念ながら現在の地表面では確認することはできませんが、
発掘調査によって最近まで建っていた本堂・薬師堂の下に、基壇という
土を固めた壇や建物の柱を支えていた礎石が残されていることがわかりました。
基壇は南北が22.6メートル、東西約36メートルであると推定されています。
云々。。。


甲斐国分寺跡。その1

===
講堂跡
講堂は僧侶たちが仏教を学び修行する建物で、国分寺には20人の僧を置くことが
法で定められていました。
講堂跡はこれまで国分寺の墓地とされてきましたが、墓地の移転が進み
礎石の並び方が良くわかるようになりました。
現状では自然石を用いた32個の礎石が確認できます。礎石の数は本来36個で、
東西26.4メートル、南北13.7メートルの建物が復元できます。
礎石の大きさから古代寺院建築の壮大さがしのばれるのではないでしょうか。
云々。。。

すぐ近くに「甲斐国分尼寺跡」もあります。
そちらへも参りましょう。。。



以前の国分寺はこちらから。
昨夜の、ブラタモリで。。。

【甲斐国分寺跡】
@山梨県笛吹市一宮町国分


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