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中之条ビエンナーレ 2013、Vol.7。[太子駅]

中之条ビエンナーレ 2013」。
六合エリア「旧太子駅」会場です。


=== 案内板より ===
群馬鉄山の創立と太子線の開通
昔から吾妻川は、河原の石までも赤く染めて流れていました。この流れの源が、
鉄山です。群馬鉄山は、ここ太子駅から北北西、直線距離にして約8km、
中之条町大字入山字元山地区(現在のチャツボミゴケ公園)に位置し、
ここに国内随一の褐鉄鉱鉱床がありました。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.7。[太子駅]

太平洋戦争末期、戦局の悪化に伴う輸入鉄鉱石の減少から、国内鉄鉱石増産の
要請があり、昭和18年6月、この地方の鉱業権を取得した日本鋼管株式会社が、
国の命令を受け鉱山開発を行いました。
この鉄鉱石を京浜地域に輸送するため、突貫工事により敷設されたのが
長野原線(渋川~長野原間の42km)と、日本鋼管鉱業株式会社専用側線の通称
「太子線」(長野原~太子間の5.8km)です。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.7。[太子駅]

開通は昭和20年1月2日、大雪の中、太子駅より鉄鉱石が初出荷されましたが、
すでに戦況は悪化し、米軍の空襲により交通機関はむ寸断され、
思うような出荷が出来ないうちに終戦を迎えました。
なお群馬鉄山から太子駅までは、索道(空中ケーブル)により
鉄鉱石が運搬されていました。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.7。[太子駅]

戦後の太子線
終戦後、群馬鉄山は事業を再開し、鉄鉱石は日本の復興に役立てられました。
太子駅は引き続き貨物専門の駅でしたが、昭和29年6月に当時の六合村
村民の願いが叶って客車乗り入れが実現し、通勤、通学、観光等の足として
利用されるようになりました。

ところが昭和40年に群馬鉄山が閉山され、昭和42年、
長野原線は電化されましたが太子線は電化されず、唯一の駅である太子駅は
無人駅に指定されました。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.7。[太子駅]

太子線の利用客は日に日に減少して、全国でも指折りの赤字路線となったため、
「先祖伝来の田畑を提供し、勤労奉仕の血と汗で築いた太子線を残してほしい」
という地元住民の願いもむなしく、昭和45年11月1日営業休止となり、
昭和46年5月1日、ついに営業廃止となりました。

今でも、鉄鉱石を電車に積み込むための施設(ホッパーの基部)、
ホームの石積み、線路止めなどが、戦時中から戦後にかけての
歴史の証人のように残されています。
云々。。。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.7。[太子駅]

深いっ!
「旧太子駅」と〝アート〟であります★



以前の太子駅はこちらから。
六合村へGO→ その17 太子駅跡 [中之条町六合地区・太子]
以前の記事はこちらから。
中之条ビエンナーレ 2013、Vol.6。[伊参スタジオ]

【旧太子駅】
@群馬県吾妻郡中之条町大字太子


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