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中之条ビエンナーレ 2013、Vol.4。[霊山たけやま]

中之条ビエンナーレ 2013」。
採りたて、新鮮野菜が並んでいる
「道の駅 霊山たけやま」も会場となっています♪
ちょっと気になる案内を発見。


=== 案内より ===
霊山たけやまと親都神社
古代の人は、高い山そのものが神であり神霊の宿る山であり、
また先祖の霊が眠る所であると崇敬されて来ました。
嵩山(たけやま)はまさに神の宿る山であり、親都(ちかと)神社の所が
拝む所であったろうと推測されて居ります。

この山は加若次郎和利と子持姫のことを書いた神道集にある「和利大明神の事」
の中に出て来る、加若次郎は見付山の峠に現れ「和利大明神」というとあり、
「見付山」も「和利の岳」とも云ふとあります。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.4。[霊山たけやま]

渋川方面から来ると目の前に見える正に見付の山です。
元禄6年の五反田村の絵図面を見ると嵩山に「わりのたけ」と書かれ
親都神社の所に「七社大明神」とあります。
これは神道集に出てくる七社大明神の神社の中心である事だと思います。
また「親都千軒」と言ふ事が云われて居り、親都には中世の屋敷あとがあり、
その中心と思はれる所に「天皇石」が残されてあり市が開かれた事を
物語る遺物があり、又「宝蔵寺」跡もあって大集落があったと思はれます。

また戦国時代には、嵩山城が築かれ斉藤氏と真田軍との壮烈な合戦で
落城した悲話もあり元禄の時代になってから五反田村の人達が中心となって
敵味方の別なく戦没者の供養をした事が残されています。
尚、右記録に依りますと永禄の頃までは神社は大森であったが
度重なる戦過や大風により社城も荒れ果てましたが社殿の鬼門に当る所の
大欅は残って居り現在御神木として崇められて居ります。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.4。[霊山たけやま]

現在の御本殿は、元禄12年(1699)8月15日の大風にて大破したので
村中で参加をして修復をしたものです。
又、享保11年(1726)9月7日には村中で拝殿を改修し、享保13年には
鳥居を建立しました。
享保14年2月17日には明神様の御神位を頂戴する為に村から代表者2人が
村中から1人につき13文づつ出し合って貰いに出かけて
「正一位親都大明神」の称号を頂き七社大明神が改称されました。

明治初年になって「親都神社」と改称され明治10年には五反田村中の
すべての神社を合祀して現在の親都神社となりました。
云々。。。



中之条ビエンナーレ 2013、Vol.4。[霊山たけやま]

新聞紙を切って、張り付けた作品。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.4。[霊山たけやま]


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.4。[霊山たけやま]

暖かい雰囲気が好きだなぁー。


中之条ビエンナーレ 2013、Vol.4。[霊山たけやま]



以前のたけやまと親都神社はこちらから。
NAKANOJO BIENNALE 2011 Vol.9[霊山たけやま]
吾妻七社明神、親都神社 chikato-jinja に参る。。。♪ ★中之条町
以前の記事はこちらから。
中之条ビエンナーレ 2013、Vol.3。[旧廣盛酒造]

【霊山たけやま】
@群馬県吾妻郡中之条町


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