ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2017/07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017/09

茂田井 間の宿

昔の佇まいを今に伝える宿場町。
長野県佐久市にある旧中仙道「茂田井間の宿」です。
「しなの森林美術館」前~。


=== 案内板より ===
茂田井村下組高札場跡
江戸時代、庶民に法令を徹底させるため、ここに高札を掲げた。
高札場は名主宅前に設けられることが多い。


茂田井 間の宿

大澤家は元文2年(1737)より明治4年(1871)に至るまで茂田井村名主を勤め、
元治元年(1864)11月19日、水戸浪士(天狗党)中山道通過の際、
それを追って来た小諸藩兵士の本陣となった。
云々。。。


茂田井 間の宿

蔵や格子窓のある古い建物が立ち並び、
往時を偲ばせる景観が続きます。


茂田井 間の宿

雰囲気ありますねー。


茂田井 間の宿

===
茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)
慶長年間、徳川幕府によってつくられた中山道は、
近世五街道のひとつであり、江戸と京都の交流を結ぶ役を果たしていた。

茂田井間の宿は、望月宿と芦田宿の間に位置し、旅人の休み処としての機能を持ち、
多くの旅人の往来があった。

今、地域内の街道沿いには江戸時代の往時を偲ばせる土蔵や造り酒屋・民家・
道路脇の水路等旅人に安らぎを与える往時の風情を見ることができる。


茂田井 間の宿

文久元年(1861)11月7日、徳川14代将軍家茂に、公武合体のために降嫁された
考明天皇の妹『和宮・かずのみや』の行列が茂田井間の宿を通過された。

また、元治元年(1864)11月19日、天狗党水戸浪士の中山道通過に際し、
茂田井村が小諸藩兵士400人程の拠点となったなど
多くの記録が残されている。


茂田井 間の宿

一里塚は、石割坂を上りきったところに位置し、
北側には榎の木、南側には欅の木が植えられていたという。
江戸より42番目の一里塚であり、明治初期には豊川稲荷が祀られていた。
現在は痕跡だけが見られるのみである。
云々。。。



以前の記事はこちらから。
信州・中仙道、茂田井 間の宿にて。  ★佐久市
ぴんころ地蔵。 [長野県佐久市]
以前の宿場はこちらから。
三俣宿、本陣跡。 [湯沢町三俣]

【茂田井間の宿】
@長野県佐久市茂田井


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する