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鬼の窟古墳 1

なんとも恐ろしい名前の古墳があります。
鬼の窟(おにのいわや)古墳」。

コノハナサクヤヒメを嫁にと願う鬼が、姫の父、オオヤマツミノカミから
一晩で岩屋をつくるように言われ、完成させたと伝えられています。
古墳の入口から玄室までの天井のところに大きなすき間があり、
オオヤマツミノカミが石を1枚抜き取った跡とも云われます。

墳丘の周りには、外堤と二重の堀がある、ちょっとカッコイイ形の古墳。
この形は、朝鮮半島や中国を源流とする新形式の古墳なのだそうです♪


=== 案内より ===
鬼の窟古墳
鬼の窟古墳(206号墳)は、外堤と二重の周溝を有する
直径37m、高さ7.3mの円墳で、二段築成の墳丘には葺石はありません。


鬼の窟古墳 2

古墳群で唯一の開口した横穴式石室を持ち、
巨石を積み上げた石室や羨道からは、木棺に使用されたと考えられる
鉄釘や、馬具、須恵器(スエキ)、土師器(ハジキ)などが出土し、
3回以上の埋葬が行われたと考えられます。


鬼の窟古墳 3

鬼の窟古墳は、西都原古墳群の最後の首長墓と考えられます。

古墳の名前は、木花開邪姫(コノハナサクヤヒメ)に恋した鬼が、
一晩のうちに窟(石室)を作ったという伝説に由来しています。
云々。。。


鬼の窟古墳 4

「大正時代の鬼の窟古墳」。

===
古墳の上には登らないでください。
宮崎県内でも最大級の石室を持つ「鬼の窟古墳」は、
1400年以上も前に私たちの祖先が築きあげたもので、
当時の有力な豪族が永い眠りについています。

この古墳は、地元の方々が信仰の対象としてきたものでもあり、
右の(上)大正年間の写真は、当時の参道を写したものです。

古墳の上に登ることは、学術上の資料であるとともに
このように人々が敬う貴重な文化財を崩壊させることとなります。
未来への遺産として次の世代へ引き継いでいくために、
決して古墳の上には登らないでください。
云々。。。


鬼の窟古墳 5

===
石室の復元
鬼の窟古墳の横穴式石室は、羨道と玄室に分かれています。
巨石を用いて4~5段に積み上げた壁面を緩やかに内側に傾け、
天井石で覆っています。

石室の入り口には、以前はクスノキが生えていましたが、
木の成長によって拡がった根により、石室が裏側から圧迫され
崩壊の危険が高まっていました。そのため、石室の崩壊を防ぎ、
古墳と石室を本来の形状に復元することを目的とした
整備工事を実施しました。

石室の石をクレーンを使って一つずつ吊り上げながら解体し、
クスノキの根を除去しました。その後、
図面や写真を基に石を積み直し、石室と墳丘を築造当時の姿に復元しました。
石室の床面は、保護のために20cm程度の盛土を施し、
実物と同じような形状の河原石を敷いて復元しました。
云々。。。


鬼の窟古墳 6

「整備前の鬼の窟」。

===
鬼の窟古墳の復元
平成7年の調査により、埋もれた古墳、古墳の周りにある溝、
古墳の周りを巡る土手の造られた当時の姿が確認され、
さらに土手の外側にも溝があることが新しくわかりました。
現在の鬼の窟古墳は、造られた当時の面を削らないように、
慎重にすき取り工事を行い、その後に土を盛って芝を張り、
今のように復元しています。
云々。。。


瓊々杵尊と出会う前の木花開耶姫。そしてお父さんの
大山祇神にまつわる伝説が残る古墳であります。
ウムム。。。



以前の記事はこちらから。
INFORMATION THE SAITOBARU BURIAL MOUNDS。 [宮崎県西都市]

【鬼の窟古墳】
@宮崎県西都市大字三宅


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