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酒田市・城輪柵跡。その1

山形県酒田市ですっ!
やっぱり来て見たかった「城輪柵跡」。
古代の城跡でありますが、戦国時代のお城とはちょっと違います。
それでもとりあえずは城跡ということで。
キターッ★


酒田市・城輪柵跡。その2

「東門跡」

=== リーフレットより ===
国指定史跡 城輪柵跡
国指定史跡城輪柵跡(きのわさくあと)は、
山形県酒田市の市街地北東約8kmに位置しており、
一辺約720m方形の総面積52万㎡に及ぶ広大な遺跡です。

酒田市・城輪柵跡。その10

「正殿跡」

昭和6年(1931)に発見されてすぐに発掘調査が行われ、
翌7年(1932)4月25日付けで国の史跡指定を受けました。
昭和56年(1981)には追加指定を受けています。


酒田市・城輪柵跡。その9

「後殿跡」

遺跡の中央には政庁の遺構としては、正殿、後殿、東西両脇殿、
後殿付属東西両建物があり、この周囲を一辺115mの築地塀等が巡っています。
各辺の中央には門が開き、南門全面には付属東西両建物や広場・
南大路・井戸等が確認されています。

このような遺構で構成されている政庁は、その重複関係から
小期を含めて6期に変遷しています。
また、政庁内は各時期を通じて、正殿を中心に脇殿等が「Π」形に
配置されています。
このような調査結果から、城輪柵跡を平安時代の出羽国府跡とする考え方が
有力です。


酒田市・城輪柵跡。その11

「西脇殿跡」

平成元年度に国の「史跡等活用特別事業」の採択を受け、
3か年事業として、政庁南門、東門、および築地塀の一部を
実物大に復元しました。
云々。。。


酒田市・城輪柵跡。その5

酒田市・城輪柵跡。その7

酒田市・城輪柵跡。その12

「南門跡」

===
政庁南門
出羽国の国府跡と考えられている城輪柵跡の正門は南門です。
政庁南門の外側にも建物跡が東西に2棟配置し、内側には政庁内部が
直接見えないように目隠塀を設けてあります。
現在は途中までしか復元しておりませんが、南門前の広場から遺跡外郭の
南門までまっすぐに南大路が延びていました。
国府があった平安時代、どんな人たちがこの道を歩いたのでしょうか。
云々。。。


酒田市・城輪柵跡。その6

酒田市・城輪柵跡。その14

===
遺跡の区割と道路
城輪柵跡はおよそ52万㎡の広大な遺跡ですが、その内部は121m(約400尺)
ごとの区画に分かれていたと推定されます。
区画と区画との間には側溝付きの幅約10m程の道路がつくられ、建物や倉庫群、
井戸などを持つ実務的な役所を整然と配置して、
出羽の国を治めていたものと考えられます。
また、外郭の四隅と西門の北121mのところに物見櫓の建物跡が発掘されています。
云々。。。


酒田市・城輪柵跡。その3

酒田市・城輪柵跡。その13

===
井戸とその他の遺構
これまでに行われてきた城輪柵跡の調査では、
外郭線上や政庁内の建物のほかにもさまざまな遺構が発掘されています。
生活用水の確保に欠かせない井戸や20棟を超える掘立柱建物、排水用の溝跡、
ものを蓄えたり、捨てたりするための穴(土坑・どこう)などです。
井戸のなかには祭りの儀式に利用されたものもあります。
遺跡の全容を明らかにするには今後も発掘調査を続ける必要があります。
云々。。。


酒田市・城輪柵跡。その4

酒田市・城輪柵跡。その15

「築地塀」

===
築地塀 版築積(はんちくづみ)工法
板で囲んだ枠の中に砂や土を適度に配合した用土を少しずつ盛り、
樫の棒で突き固めていく作業を繰り返し行なって作った土塀です。
城輪柵跡の外側(外郭線)とその中心部分である政庁には、
このような築地塀が巡っています。
政庁が最初に作られた頃は板塀で囲まれていました。
政庁東門に続く部分の築地塀は内側に折れ曲がる「曲折り・かねおり」
になっています。
云々。。。


酒田市・城輪柵跡。その2

酒田市・城輪柵跡。その8

===
政庁東門
政庁の東西南北各辺に門を配置しています。
この東門は冠木門(かぶきもん)⇒八脚門(やつはしもん)⇒四脚門と
変化しています。復元にあたっては単層(屋根が一重)・間口3間奥行2間で
中央に扉を設けた三間一戸の八脚門様式をとっています。
瓦は出土したものを参考に軒丸瓦には蓮華の紋様を、軒平瓦には
花の紋様を付けて復元しています。柱の直径は約45cm(1.5尺)で、
一木の秋田天然杉を使っています。
云々。。。


=== ウィキペディアより ===
城柵
城柵(じょうさく)は、7世紀から11世紀までの古代日本において
大和朝廷(ヤマト政権、中央政権)が築いた軍事的防御施設である。

現代の歴史学では特に北東と南西の辺境に置かれた
政治行政機能を併せ持つものに限って言うことが多い。
個々の城柵は、「多賀柵」など「柵」の字を付ける場合と、
「多賀城」など「城」の字を付ける場合があり、城も柵も「き」と呼んでいた。
北東は蝦夷、南西は隼人に対する備えとして置かれ、
対朝鮮・中国の城に比べると防備が弱く、
行政施設としての性格が強いのが特徴である。
云々。。。


チョーウレシイ★
でも、堂の前遺跡にうっかり行けなかったのが
激しくショック(涙、、、



以前の城柵(じょうさく)はこちらから。
磐船柵跡の碑と、饅頭岩。  村上市★磐船招魂社
そうだ、東北に行こう!その12 「遠の朝廷 too-no-mikado へ参る。。。」  宮城県多賀城市★多賀城跡Ⅱ
以前の記事はこちらから。
早起き先生、第13話。 「寒河江SA」

【城輪柵跡・きのわさくあと】
@山形県酒田市城輪


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