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千曲市・佐良志奈神社。その1

戸倉駅から大正橋を渡って突き当たり。
佐良志奈神社」があります。

こちらの神社さんは社殿を背にして、
それぞれ左と右に「鳥居」があります。
こちらは右手の鳥居。


千曲市・佐良志奈神社。その2

正面社標は、正親町三条実愛(おおぎまちさんじょうさねなる)卿の書であり、
側面の撰文並びに書は佐久間象山によるものである。

当社神主松田直友は、京都に於いて実愛卿との知遇を得てこの書を戴くと共に、
卿の姑柳原大夫人よりさらしなの里の歌を賜り、社頭の栄として
建立したことが碑文に記されている。
佐久間象山は直友と親交があり度々この地を訪れている。
文字は謹厳な隷書体で社蔵の大幟と共に象山の名筆であ。

明治の町村合併に際し、更級村と改名することを許可される
根拠となった社標である。

月のみか 露しもしぐれ 雪までに
  さらしさらせる さらしなの里

文久元年(1861年)建立
云々。。。

千曲市・佐良志奈神社。その3 千曲市・佐良志奈神社。その4

鳥居からすぐ入ったところにある
「高良社」と「秋葉社」。


千曲市・佐良志奈神社。その5

そして「稲荷社」。


千曲市・佐良志奈神社。その6

手前「手水舎」と、奥に「社務所」。


千曲市・佐良志奈神社。その8

境内には「土俵」もあります♪


千曲市・佐良志奈神社。その10 千曲市・佐良志奈神社。その9

千曲市・佐良志奈神社。その12

=== 案内板より ===
佐良志奈神社由緒
祭神
誉田別尊(応神天王) 息長足姫尊(神功皇后) 大鷦鷯尊(仁徳天皇)
延喜式内神社は当時更級郡の中に十一社あったが、
その中の一社で、創立年月日等は宝徳2年(1450)本殿火災のため焼失し、
古文書等はそれ以後のものしか現存しない。


千曲市・佐良志奈神社。その13

社説語伝は允恭天皇の王子黒彦王の勧請であって、
大鷦鷯命は冠着山支嶺(八王子山)に祀ってあったが、
仁和3年(887)の地震で現代の八王子組(当時千曲河原)に崩落したため、
麓にあった若宮八幡宮に合祀した。

現在でも祭神四体(一体は祭神名不明)が現存している。
当時佐良志奈神社の摂社八王子社(祭神国之狭槌命)は、
今も八王子山に現存している。


千曲市・佐良志奈神社。その14

正平年中(1346~1370)後醍醐天皇の皇子宗良親王御潜居のおり
暫時御所とした、その節の逆襲塚があり台石に
『信州若宮永和二年丙辰六月十五日契約従衆四五人』
と刻んである。


千曲市・佐良志奈神社。その15

氏子は若宮組三組「黒彦・若桜宮(現在の若宮)・柴原(現在の芝原)」で
なかでも黒彦組は戸数多く、市なども立って栄えていたが、
天文11年(1542)、慶長2年(1597)、同16年(1612)等度々の水害にあい、
千曲川の両岸に移住分村して現在に至っている。

明治15年10月7日郷社に列せられる。
云々。。。


千曲市・佐良志奈神社。その16

住吉社、大国社、粟島社、金刀比羅社、八坂社、
猿田彦社、諏訪社、etc。。。
「境内社」もたくさんあります。


千曲市・佐良志奈神社。その17

本殿の後ろにある「宝篋印塔」。
なかなかな云われを持っています★

===
宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)を
納めるために造られた経塔であるが、後には
供養塔や墓として建てられるようになった。

この石造宝篋印塔は、基底部に「信州若宮 永和二年
六月□□ 契約□□ 四拾五人」と刻まれている。
「永和二年(1376)」は北朝年号である。
また明治の初め頃に八王子山麓から現在地に移されたといわれる。

南北朝時代、南朝方の宗良親王(後醍醐天皇第8皇子)に従い
戦に出る人達が自らの墓として建てた逆襲塚、という言い伝えもある。
云々。。。


千曲市・佐良志奈神社。その7

こちらは大正橋側にある「鳥居」です。

やっぱり歴史や云われが深いんですねー。
千曲市にある延喜式内社「佐良志奈神社」。

また来よう、
また来てみたい、佐良志奈神社。。。



以前の記事はこちらから。
善光寺大本願別院。 [千曲市]

【佐良志奈神社】
@長野県千曲市若宮


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