ウワサのBECCAN。ブログbeccanです。グルメ、おサケな話、チマタの話題などなど。

2017/09123456789101112131415161718192021222324252627282930312017/11

史跡 森将軍塚古墳。その12

=== 案内板より ===
史跡 森将軍塚古墳
森将軍塚古墳は、今から1600年ほど昔に造られた全長約100mの
前方後円墳です。当時『科野のクニ』を治めていた豪族の墓と
考えられています。
云々。。。

史跡 森将軍塚古墳。その13 史跡 森将軍塚古墳。その14

===
竪穴式石室は日本最大級
古墳の埋葬施設には、竪穴式石室・粘土槨・横穴式石室などがあります。
~中略~
森将軍塚古墳の竪穴式石室は、長さ7.6m、幅2m、高さ2.3mの長大なもので、
日本最大級の規模です。床面の幅が特に広いのが特徴です。

===
残された副葬品
古墳時代前期の古墳には、武器(剣・刀・矢)とともに鏡、ノミなどの
農具や工具が副葬されるのが特徴です。
中期以降の古墳では、多量の武器や馬具などが副葬されます。
この二つの土器は小型丸底鉢と呼ばれるもので、当時の政治や
文化の中心である近畿地方の影響のもとに作られた土器です。
この科野のクニが当時、近畿地方をはじめ各地と、
盛んに交流していたことがわかります。
云々。。。


史跡 森将軍塚古墳。その15

===
副葬品が語る古墳の主
石室内の副葬品は、そのほとんどがすでに持ち去られていたようです。
しかし、残された品じなから、大和王権と密接な関係をもち
人々に繁栄をもたらす指導力を発揮した、科野のクニの最初の王の姿を
見ることができます。
見つかった三角縁神獣鏡片は、中国製の大型鏡です。
大和王権から全国各地の王に、政治的な関係を結んだ証として与えられた
といわれる、長野県下では唯一のものです。
云々。。。


史跡 森将軍塚古墳。その16

山の尾根に造られている〝森将軍塚古墳〟。
その麓にある「森将軍塚古墳館」です。

森将軍塚古墳に関するいろいろな資料が展示されています。


史跡 森将軍塚古墳。その17

===
7代、200年続いた『科野のクニ』の王墓
森将軍塚古墳をはじめとする善光寺平南部の前方後円墳のあり方から、
4世紀代から6世紀代にかけて、千曲川両岸の勢力が一体となって
政治的な地域圏を構成していたと推定できます。
しかし、森将軍塚古墳築造以降、古墳は規模がしだいに小さくなり、
6世紀中ごろにはこの地域では前方後円墳が築かれなくなります。
大きな政治的変動によって、この地域の豪族の力が衰退したのでしょうか。
云々。。。


史跡 森将軍塚古墳。その18

===
遠く大阪から運ばれた大きな甕
森将軍塚古墳の裾テラスから、直径1m、高さ1.2mほどの
大きな須恵器の甕が見つかりました。
5世紀のはじめ、日本で須恵器が焼かれ始めたころのものです。
形の特徴や材質の分析から、現在の大阪府堺市近くで作られ、
運ばれてきたものであることがわかりました。
云々。。。


史跡 森将軍塚古墳。その19

===
日本列島全域に見られる交流
弥生時代、長野県下では千曲川水系と天竜川水系という二つの地域が、
それぞれ特徴のある土器を使っていました。
古墳時代になると、近畿・東海地方をはじめ、北陸・関東地方などの影響を
受けた土器が加わるようになり、人びとが盛んに交流し始めたようすを
うかがい知ることができます。
土器に見られる交流は列島全域にくり広げられており、
近畿地方を中心とした当時の社会情勢を物語っています。


史跡 森将軍塚古墳。その20

===
朝鮮半島から運ばれた土器
5世紀代になると、鉄製武器や農具をはじめ、須恵器などの新しい文化や
技術を求めて、人びとの交流の範囲はさらに拡大し、はるか海を越えて
中国大陸からも、その文化や品じなが運びこまれてきます。
市内でも、城ノ内遺跡の住居跡から、朝鮮半島南部で作られた陶質土器が
発見されています。こうしたものは、
大和王権を通して手に入れたとみられます。

史跡 森将軍塚古墳。その21

森将軍塚古墳の麓に復原された『科野のムラ』。


史跡 森将軍塚古墳。その22

===
盗掘坑から石室を観察
石室内部を観察する場所は、かつて「塚堀り六兵衛」らが
副葬品を盗掘するために石室の壁を壊した部分です。
ここからは、石室の石積みや墓壙(ぼこう)の石垣のようすが
よく観察できます。


史跡 森将軍塚古墳。その23

みなさんに現地で本物の石室を見ていただきたいのですが、
地震や冬の寒さから石室を保護することができません。
そこで、発掘調査の時に型取りをして作った実物大の精密模型がこれです。
本物の石室は、古墳の中に保存されています。


史跡 森将軍塚古墳。その24

===
復原された屋代清水遺跡
屋代清水遺跡は、長野県立歴史館の地下に発見された遺跡です。
発掘調査の結果、縄文時代後期(およそ3500年前)から弥生時代、古墳時代と
集落が営まれ、それ以降は水田として利用されてきました。
公園内の『科野のムラ』は、屋代清水遺跡で発掘された古墳時代中ごろの
建物群をもとに復原したものです。
云々。。。


やっぱりすごいなぁ~。
これだけの情報と資料が公開されているのって、
素晴らしいと思いませんっ!?
隣にある〝長野県立歴史館〟に続いて、やっぱ来て見て良かった~★
古墳愛好家の方々にはたまらないんぢゃないでしょうか?
メチャメチャおすすめです、「森将軍塚古墳館」!
ぜひぜひ~♪



以前の記事はこちらから。
史跡 森将軍塚古墳。 [千曲市]

【森将軍塚古墳館】
@長野県千曲市大字屋代29-1
TEL/026-274-3400


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する