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鹿児島城下絵図

=== 案内板より ===
鹿児島城下絵図
この絵図は、天保14年(1843年)頃のもので、天保6年(1835年)に生れた
篤姫や小松帯刀の幼い頃の鹿児島を描いたものです。

江戸時代、城下町は武士と町人の住む区画が分けられており、
鹿児島城(鶴丸城)本丸の前から北側の古い城下町は「上方限」(武士の居住地)、
「上町」(町人の居住地)と呼ばれました。
また、鹿児島城(鶴丸城)二の丸の前から南側の新しい城下町は
「下方限」(武士の居住地)、「下町」(町人の居住地)と呼ばれました。
云々。。。


二つ家。 その1

二つ家。 その2 二つ家。 その3

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二つ家と呼ばれる居住形態
- 下加治屋町での武士の暮らし -
鹿児島から離れた甲突川沿いの下加治屋町は、幕末から明治にかけて活躍した
西郷隆盛ら下級武士の居住地でした。
下加治屋町には、70数戸の下級武士が居住しており、当時の屋敷は
二つ家と呼ばれる居住形態でした。

二つ家とは座敷を中心とした格式を重んじる「おもて」と
台所など日常生活のための「なかえ」とが樋の間でつながり、
屋根は二つでありながら部屋はひと続きになっているという特徴を持ちます。
当時の屋根は藁や萱で葺いたものが主で、一部瓦を使用したものや
板葺などもあったと思われます。

当時の下級武士の生活は質素なもので、米を常食することもできず、
内職として傘の骨作りや特産物の櫛作り、農作業の手伝いなどをして
食いつないでいたといわれます。
云々。。。



以前の記事はこちらから。
小路と馬場。 [鹿児島市*維新ふるさとの道]

【二つ家・歴史ロード「維新ふるさとの道」】
@鹿児島県鹿児島市加治屋町


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