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倭文神社 しとりじんじゃ その4

伊勢崎市にある「倭文神社」です。
倭文と書いて〝しどり〟と読みます。
shidori-jinja。

倭文神社 しとりじんじゃ その5 倭文神社 しとりじんじゃ その6

上野国九之宮の延喜式内社です。
歴史も相当古そうです。


=== 案内板より ===
倭文神社略由緒
当社の御祭神は、天羽槌雄命で、その歴史は古く機織の祖神として、
また農耕、養蚕の神として尊崇されてきた。
その創建は、人皇第11代垂仁天皇の御宇3年と伝えられているが、
これを明らかにする証跡は、現在不明となっている。


倭文神社 しとりじんじゃ その2

貞観元年(859)に官社に列せられ、従五位下を授けられた。(三代実録)
その後、延長5年(927)に撰集された『延喜式』神明帳の中に
倭文神社の名が載せられ、上野神明帳には、『従一位倭文大明神』とあって
上野国の九之宮とも称された。


倭文神社 しとりじんじゃ その13 倭文神社 しとりじんじゃ その8 倭文神社 しとりじんじゃ その7

その後、戦国時代の争乱にまきこまれ、一時荒廃したが
徳川氏の江戸入部以来 関東地方も次第に平和をとりもどし、
元和年間(1615~23)から寛永年間(1624~43)に入る頃は、社殿も再建され、
別当寺として、新義真言宗宮川山慈眼寺が定められ、住持実秀が別当となった。
以後近世を通じ倭文神社は慈眼寺の管理下におかれた。


倭文神社 しとりじんじゃ その9 倭文神社 しとりじんじゃ その10

三代将軍家光の慶安元年(1648)9月には、御朱印地十石を賜わり、
漸く安定した神社経営が行われ、祭事も復興し、神威もいよいよ加わるに至った。


倭文神社 しとりじんじゃ その11 倭文神社 しとりじんじゃ その14

その後約80年を経て、享保12年(1727)8月には、八代将軍吉宗から
社殿再建勧進の許可を得て上野国はもとより、江戸府内からも
浄財の寄進を仰ぎ、旧にまさる荘厳な社殿鳥居などが再建され、大いに隆盛をきわめた。
しかし、この社殿も慶応2年(1866)11月9日再度火災に会い、悉く灰燼に帰してしまった。


倭文神社 しとりじんじゃ その12

現在の社殿はその後、明治13年10月24日(上棟)に再建されたものである。
なおさきの御朱印地十石の斎田は、明治維新の際上納され、
また明治元年の神仏分離令により、別当寺や社僧の制も廃止され、
神職によって祭祀される現在の姿となった。
その後区内の小社祠の整理合祀も行われ、この間郷社に列せられた。
また大正14年には、神饌幣帛料供進社に指定された。
今次大戦後は、国家神道や社格もなくなり、
純粋な上之宮町の鎮守として今日に至っている。
云々。。。


倭文神社 しとりじんじゃ その3

=== 案内板より ===
倭文神社の田遊び
倭文神社の田遊びは、上之宮町の倭文神社で毎年1月14日に行われる
田植えの予祝行事です。
笹竹を持つ祭員が笹竹を振り、ご神歌奉唱しながら
鳥居と拝殿を3往復した後、町内を巡行します。
昔は最後に参会者による笹竹の奪い合いがあり、
この竹で養箸を作ると蚕が当たるとされていました。
この田遊びの、ご神歌は中世まで遡り、貴重です。
云々。。。


倭文神社 しとりじんじゃ その1

境内にはたくさんの境内社、そして巨石(磐座?)もあり、
なかなか興味深いデス。
中世まで遡るという田遊びご神歌は、一度聞いてみたいですね♪



以前の記事はこちらから。
連取の松と菅原神社。 [伊勢崎市]

【倭文神社】
@群馬県伊勢崎市東上之宮町


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